旧サブカル・カムカム

メインコンテツの更新は別ドメインにて、引き続き行なっています。社会人になっても、アニメやゲーム、マンガをじっくり楽しみたい!管理人が別格で好きなアニメ作品は『Darker Than Black−黒の契約者−』と『機動戦士ガンダム00【ダブルオー】』。
 

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やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。感想/第01話「こうして彼らのまちがった青春が始まる。」/魚を獲ってあげなければ、飢えて死ぬ。それほど性急な青春の悩みとは?


はまち、または俺ガイルの本領が発揮されていくのは、第四巻以降なのですが、今回のファーストエピソードは、全編にわたっての八幡と雪乃の立ち位置が見えてくる重要な挿話です。

 由比ヶ浜さんの手作りお菓子製作にあたって、雪乃さんは「魚の釣り方を教える」という喩えで、料理の腕をあげようとします。

 この「魚の釣り方を教える」という下りが超重要です。

 よく魚を獲ってあげる事よりも、魚の釣り方を教えたほうがその人が自立できるからいいんだ、と言われます。これ一見すると正しいのですが、本当にそうでしょうか? 今にも飢えて死にそうな人を前にして、魚の釣り方を教えて何になるでしょう? それよりも「早く魚をくれ!」と言われてしまいます。

 このように「魚の釣り方を教える」という本質的な解決を図れるのは、雪乃のように持てる者、余裕のある人なのです。今にも飢えて死にそうな人に、あまり効果がありません。

 そして、不幸なことに、青春の悩みというのは、その青春を生きる当人にとっては、今すぐ魚がもらえなければ飢えて死ぬほどのものなのです。

 傍目からみれば、あるいはだいぶ先になって振り返ってみれば、あの時俺は何を悩んでいたんだろう? もっとゆっくり解決していけばいいんじゃないかと思えるような些末なものですが、その瞬間の当事者にとってみれば、今すぐにでも解決しなければいけない大問題なのです。

 その中にあって、成長、変化を求める「魚の釣り方を教える」雪乃さんよりも、現状からなんの変化もさせず、そのまま「魚を獲ってあげる」八幡のやり方のほうが、効果があるわけです。料理の腕なんて、「頑張って作った」手作りお菓子で心をつかんでから、練習すればいい、となる。

 明確に、

 魚の釣り方を教える=雪ノ下雪乃
 魚を獲ってあげる=比企谷八幡


 という対比が見て取れます。最新刊の八巻に至るまで、「魚の釣り方を教える型」本質的解決を目指す雪乃さんは誰も救うことができず、「魚を獲ってあげる型」現状解決の八幡が、ひたすら悩みを解消していってます。解決ではなく、「解消」しているのがポイント。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 (ガガガ文庫)
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まおゆう魔王勇者感想/第1話「この我のものとなれ、勇者よ」「断る!」

「ずっとずっと楽しみにしていた、君と言葉を交わすのを」(魔王)

 アニメ『まおゆう魔王勇者』第一章「この我のものとなれ、勇者よ」「断る!」のネタバレ感想です。アニメ版いいですねー。自分にとって、その作品が傑作であるかどうか否かを分かつ大きな条件として、その作品を自分の好きな人に──もし子供がいたらその子供に──堂々とおすすめできるかどうかということを掲げていますが、アニメ版もWeb版書籍版と変わらず、堂々とおすすめしちゃえそうです。

 そういう意味では、心底自分が見たい! と思っていたフィルムになっていたと思います。

 何かと批判が多い(アニメ化され、また書籍化時と同じような批判が横行していましたが)、この「まおゆう」ですが、それも多くの批判は曲解というか、明らかに作者の橙乃ままれさんが意図していないであろう文脈において批判されている感すらあって。──いや、まあそれはどうでもいいでしょう。そうした誤解は、このアニメが進行するにつれて、少なくなっていくと思いますし(ままれさんのコメントとしては、僕は書籍版最終巻のあとがきが好きです)。それぐらいとてもよくできた、スタッフのみなさんが「どのようなアニメにしたいか」「何をやりたいのか」が伝わってくる映像です。

まおゆう魔王勇者 5あの丘の向こうに 特装版
まおゆう魔王勇者 5あの丘の向こうに 特装版


 そんなこんなで、魔王と勇者の出会いです。

 Web版書籍版石田あきら版エトセトラ、メディアミックスされていく中で、多くの魔王と勇者の出会いをこれまで見てきたわけですが、もしかしたらこのアニメ版の出会いが一番好きかもしれない。

「丘の向こう」も(この世界における)戦争の有益性も善悪の相対化も、見る人が見れば(特に中高生など)やはりはっと目が覚まされるような、衝撃を与えてくれるものでしょうが、それでもわたしはやはり、魔王と勇者、彼らが出会ったこと、それ自体にフォーカスしたい。

 Web版や書籍版は、ほぼ全編台詞のみで構築されているということもあり、この魔王と勇者の最初の会話から、この世界が立ち上がっていくかのような、まさに彼らによって世界が作り出されていく(それを示すように、物語は彼や彼女の信念や願いが伝播していくような構造になっている)。

 ともすれば、そのような「錯覚」さえ抱いてしまうし、その世界の構築劇、染まり方自体に言いようのない気持ちの良さすら感じてしまう。だけれど、このアニメ化においてはそうではない。

 当たり前のようですが、魔王と勇者が出会う前から、この世界がすでに「在る」ということが前提となっている(ある意味メタ的に見れば、わたしたちファンは、この世界があることをすでに知っているわけで)。ゆえに、主要人物の顔見せとして、青年商人やメイド姉妹、冬の国の王子、女騎士や弓兵が登場しているけれど、彼らのよってこの世界の「いま」が語られる。魔王や勇者だけでなく、彼らによって世界が形作られている。

 魔族と人間との戦争があることによって、薄氷の上に成り立っている、この世界は頑然と存在している。

 いまがあるならば、当然過去も未来もあるだろうと言わんばかりに、たった一話ながらも、勇者の現在未来過去が概観される内容にもなっていますね。魔王によって見せられた過去の風景、そして、まるで鉄砲玉のように飛び出していき(今のこの世界には銃器がないので、弓に例えられる)、魔王を倒しさえすれば未練はないという勇者。

 この語りからすれば、本来ならば、勇者と魔王が出会うことによって、二人の物語は終わっていた。それも、魔王の語りによれば、この世界にとってなんの意味も与えられないまま。

 だけれど、彼らは出会い、そして、終わらなかった。勇者と魔王がただ出会っていただけならば、幾千のRPGと同じようにそこでエンディング。けれど、勇者と呼ばれた少年と魔王と呼ばれた少女(というには実年齢がおかしいですが(笑))は、ここに出会い、語らう。

 Web版のように、彼らが出会うことで世界が始まるのではなく、すでにここにある世界において、彼らは出会った。幾千幾万の魔王と勇者のような決まりきった出会いではなく、魔王であり彼女である少女と、勇者であり彼である少年、この世界だから、彼らだからこその出会い。

「それが、お前なんだな」(勇者)

まおゆう魔王勇者 1「この我のものとなれ、勇者よ」「断る!」
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まおゆう魔王勇者 (1) [Blu-ray]
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→ネタバレ満載ですが、Web版を読んだ時の感想はこちら。ぼくがまおゆうという作品をどう捉えているのかわかりやすいと思います。

氷菓感想/第03話「事情ある古典部の末裔」

「きっと十年後、この毎日のことを惜しまない」(折木供恵)

 アニメ『氷菓』第三話「事情ある古典部の末裔」のネタバレ感想です。
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氷菓感想/第02話「名誉ある古典部の活動」

「こんな風に俺はならない」(折木奉太郎)

 アニメ『氷菓』第二話「名誉ある古典部の活動」のネタバレ感想です。奉太郎が読んでいる本が、坂口安吾の『堕落論』というのは、お約束。
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氷菓感想/第01話「伝統ある古典部の再生」

「そうか、保留か」(折木奉太郎)

 TVアニメ『氷菓』第一話「伝統ある古典部の再生」のネタバレ感想です。
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