「ずっとずっと楽しみにしていた、君と言葉を交わすのを」(魔王)
アニメ『まおゆう魔王勇者』第一章「この我のものとなれ、勇者よ」「断る!」のネタバレ感想です。アニメ版いいですねー。自分にとって、その作品が傑作であるかどうか否かを分かつ大きな条件として、その作品を自分の好きな人に──もし子供がいたらその子供に──堂々とおすすめできるかどうかということを掲げていますが、アニメ版もWeb版書籍版と変わらず、堂々とおすすめしちゃえそうです。
そういう意味では、心底自分が見たい! と思っていたフィルムになっていたと思います。
何かと批判が多い(アニメ化され、また書籍化時と同じような批判が横行していましたが)、この「まおゆう」ですが、それも多くの批判は曲解というか、明らかに作者の橙乃ままれさんが意図していないであろう文脈において批判されている感すらあって。──いや、まあそれはどうでもいいでしょう。そうした誤解は、このアニメが進行するにつれて、少なくなっていくと思いますし(ままれさんのコメントとしては、僕は書籍版最終巻のあとがきが好きです)。それぐらいとてもよくできた、スタッフのみなさんが「どのようなアニメにしたいか」「何をやりたいのか」が伝わってくる映像です。
まおゆう魔王勇者 5あの丘の向こうに 特装版
そんなこんなで、魔王と勇者の出会いです。
Web版書籍版石田あきら版エトセトラ、メディアミックスされていく中で、多くの魔王と勇者の出会いをこれまで見てきたわけですが、もしかしたらこのアニメ版の出会いが一番好きかもしれない。
「丘の向こう」も(この世界における)戦争の有益性も善悪の相対化も、見る人が見れば(特に中高生など)やはりはっと目が覚まされるような、衝撃を与えてくれるものでしょうが、それでもわたしはやはり、魔王と勇者、彼らが出会ったこと、それ自体にフォーカスしたい。
Web版や書籍版は、ほぼ全編台詞のみで構築されているということもあり、この魔王と勇者の最初の会話から、この世界が立ち上がっていくかのような、まさに彼らによって世界が作り出されていく(それを示すように、物語は彼や彼女の信念や願いが伝播していくような構造になっている)。
ともすれば、そのような「錯覚」さえ抱いてしまうし、その世界の構築劇、染まり方自体に言いようのない気持ちの良さすら感じてしまう。だけれど、このアニメ化においてはそうではない。
当たり前のようですが、魔王と勇者が出会う前から、この世界がすでに「在る」ということが前提となっている(ある意味メタ的に見れば、わたしたちファンは、この世界があることをすでに知っているわけで)。ゆえに、主要人物の顔見せとして、青年商人やメイド姉妹、冬の国の王子、女騎士や弓兵が登場しているけれど、彼らのよってこの世界の「いま」が語られる。魔王や勇者だけでなく、彼らによって世界が形作られている。
魔族と人間との戦争があることによって、薄氷の上に成り立っている、この世界は頑然と存在している。
いまがあるならば、当然過去も未来もあるだろうと言わんばかりに、たった一話ながらも、勇者の現在未来過去が概観される内容にもなっていますね。魔王によって見せられた過去の風景、そして、まるで鉄砲玉のように飛び出していき(今のこの世界には銃器がないので、弓に例えられる)、魔王を倒しさえすれば未練はないという勇者。
この語りからすれば、本来ならば、勇者と魔王が出会うことによって、二人の物語は終わっていた。それも、魔王の語りによれば、この世界にとってなんの意味も与えられないまま。
だけれど、彼らは出会い、そして、終わらなかった。勇者と魔王がただ出会っていただけならば、幾千のRPGと同じようにそこでエンディング。けれど、勇者と呼ばれた少年と魔王と呼ばれた少女(というには実年齢がおかしいですが(笑))は、ここに出会い、語らう。
Web版のように、彼らが出会うことで世界が始まるのではなく、すでにここにある世界において、彼らは出会った。幾千幾万の魔王と勇者のような決まりきった出会いではなく、魔王であり彼女である少女と、勇者であり彼である少年、この世界だから、彼らだからこその出会い。
「それが、お前なんだな」(勇者)
まおゆう魔王勇者 1「この我のものとなれ、勇者よ」「断る!」
まおゆう魔王勇者 (1) [Blu-ray]
→ネタバレ満載ですが、Web版を読んだ時の感想はこちら。ぼくがまおゆうという作品をどう捉えているのかわかりやすいと思います。