遺伝子操作により、二十五歳で成長老化が止まり、余命の一年間という「時間」を通貨としてやり取りする世界の物語。なぜか痛快なB級エンタメを期待して見に行ったので、そういう意味では期待はずれでしたが、鑑賞後にワイワイ語り合う分には楽しい作品でした。細かい設定周りが、ものすごく気になる。
「時間=通貨」という性質上、別にこれお金でも良いんじゃね? という箇所は多いものの、時に描かれる、時間ならではの富の描き方が面白かった。スラムゾーンの人間は残り時間が少ないためあくせくと急いでいるのに対して、富裕ゾーンの人間は基本ゆったり移動しているというのは、お金が富の象徴である現実(時間をお金で買う)とは真逆。あと映像を見るだけでは気づかなかったんですが、パンフレットによれば、服のボタンの数が富のバロメータになっているというのも、しょうもなすぎて面白い(スラム街の住人は、着替えに時間をかけられないため、着やすい服を着ている)。
物語としては、主人公のウィル・サラスが百年間という膨大な時間を得るきっかけになったハミルトン氏との会話が、続く展開にまったく影響しておらず、笑った。それだけの時間を持っていたら、決して無駄にしないとか言っていたのに、富裕ゾーンに着いた途端無駄遣いし始めるウィルの姿がリアルだ。
またハミルトン氏との会話は大別すると、二通りの話をしていて、一つは不死を得たとしても人はそれだけ時間を生きられないという話。もう一つは大多数の人の時間を少数の人間が持っているという搾取の話。しかし、この物語は予想に反して、終始前者ではなく、後者の問題を解決するべく、ウィルが奮闘することとなる。具体的には「時間泥棒」し、貧者に配るわけだが、当然ながらそれでは何も解決しない。が、物語はそのまま終わる。放映後に何とも言えない気持ちになるのは、えっこれ何か解決したの? という疑問が湧き上がってくるからだろう。
この疑問に応えるのが、これまたハミルトン氏との会話でさらりと語られた「時計を見ない」生活だろうと思われる。ウィルは時間が膨大にあったら、自分は時計を見ない(いちいち自分の余命を確認したりしない)という趣旨の言葉を発するのだけれど、真の意味で時計を見ずに生きたのは監視局の人間だけだった。自分の生涯をかけて成し遂げてきた監視局の職務を果たすため、ウィルという星を追った彼は、自身の時間を忘れてしまったのだ。「時間……?」とつぶやき、死んでいく彼が惨めに思えるだろうか? 時間切れで死ぬというのは確かに作中惨めな死として描かれてきたものだけれど、時間が世界を支配する、この物語の中で彼だけがその呪縛から解き放たれて「生きた」のだ。