「こんな風に俺はならない」(折木奉太郎)
アニメ『氷菓』第二話「名誉ある古典部の活動」のネタバレ感想です。奉太郎が読んでいる本が、坂口安吾の『堕落論』というのは、お約束。
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「愛なき愛読書事件」という、日常の中で発見された些細な謎に対して、奉太郎と千反田さんたちとの反応が違うというところで、ストレートに灰色/薔薇色という対比が描かれます。
原作第一巻の『氷菓』においては、エピソード全編に渡って、重要な意味を持つ対比だけに、印象的に描かれてましたね。メイド千反田さんに、強引に選ばされる薔薇色コース然り、上記の奉太郎の台詞然り、折木奉太郎が自身の「省エネ主義」というスタイルを揺さぶられるのが、『氷菓』。
正直、毎週金曜日に必ず同じ本が貸し出され、返されるというのは、ミステリーの謎として些細以外の何ものでもなく、かつ明かされる真相も大したことがない。おそらく謎解きが面白くないと思ったりもするでしょう? 僕もそう思います(笑)。
だけれど、そんな、あまりにどうでも良いことだからこそ、それに対して全力で取り組むことができている(ように見える)千反田さんたちに対して、折木奉太郎は壁を感じるし、遠い存在のように思えてしまう。
#薔薇色と灰色って、そんなにも遠い、別の存在なんだろうか、というのも一つ、気にしながら視聴してみると面白い。ちなみに、本当の意味で、ものすごく厳密にいえば、「いま、ここ」にコミットしているのは、千反田さんだけだと僕は思ってます。というのも、摩耶花も里志も、お互いの関係を「保留」(棚上げ)したままだから。
この奉太郎の世界に対する違和感――自身の省エネスタイルに対する不信感――は、他にも、「やりたいことなんてないんでしょ?」というお姉さんの発言にも繋がっていることですね。奉太郎のモットーに「やりたいこと」については書かれていない。
「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことなら手短に」(折木奉太郎)
奉太郎は姉にいわれたから古典部に入っただけで、千反田さんの「一身上の都合」や里志の「面白そう」という理由を持ちあわせていない。そして、これは原作小説で言及されることではありますが、彼自身何故そのような生き方をするようになったか、その理由を覚えていない。
この省エネ主義に対する根拠のなさ――それはつまり、自身の実存に対する無根拠さに通じる――は、次回で明かされる千反田さんの動機面と合わせ鏡になっている部分ですね。千反田さんと共に、古典(過去)を読み解くことで、彼らの「いま」に光を当てることになっていく。
そういう意味では、事件の謎を追うことで、彼らの物語を読み解いていく、そんな物語なのかもしれません。
「大事なのは真実ではない。千反田が納得することなんだ」(折木奉太郎)
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まどろみの約束
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