「金は確かに大事だけど、他にも大切なものがあるはずだろ。愛とか!」(阿良々木火憐)

 アニメ『偽物語』第伍話「かれんビー 其ノ伍」のネタバレ感想です。貝木と火憐が立っているステージの違いが、これでもかというほど、描かれていたお話でしたね。


「お前は善行を積むことで心を満たし、俺は悪行を積むことで貯金通帳を満たす。そこにどれほどの違いがある?」(貝木泥舟)

 正義の相対化、ここに極まり。ここまで極まってしまうと、正義を「語る」こと自体にはあまり意味がなくなってしまうということが、えらくエンタメチックに伝わってくるエピソードでしたね。

 火憐と貝木の会話の噛み合わなさ加減が見事。

 結局お互いがお互いの話をしているだけなのだけれど、それぞれの話の「強度」が違ったために、一方的に火憐が貝木に飲まれていったわけです。

 二元論的に正義と悪を捉える火憐と、相対主義的に正義を語る貝木とでは、そもそも話が噛み合わない。だけど、そこは少なからず相対主義的な現代を生きている火憐ちゃん、自分の正義がアリならば、それと同じ理由をもって貝木の正義もアリと判断せざるを得ず、そして、なによりも貝木の不吉さに気圧される形で、敗北。

 以降の火憐ちゃんの価値観が、相対主義的になっているのもポイントですね。いちばん最初に引用した台詞などが顕著なんですけれど、いや、そもそもそれが当たり前なのだけれど。いくら資本主義の世の中といっても、お金がすべてでは当然なく、だけどお金が大切じゃないわけでもない。お金は大切だけれど、それ以外にも大切なものがあるだろう? というのは至極ありふれた価値観。

 だけど、きっと貝木はそれをわかっているんですよね。お金がすべてではないということを、彼自身は何よりもわかっている。その証拠に、彼は自身の「金が正義だ」(こう書くとかなりバカっぽいですが)という信念と、火憐の「善行が正義」を等価に見る。どちらかに違いなどあるのかと、火憐に問うわけです。

 もし二人に違いがあるとすれば、その自覚、無自覚の違いなんだろうと。火憐は明確に貝木の価値観に引っ張られているわけですが、貝木は火憐の正義には決して靡かない。それは絶対的なものが何もないこの世の中で、それを知りながらも、あえて貝木は自身の正義を絶対視しているから。

 貝木自身は、自身の在り様が「偽物」であるということに自覚的なんですね。だけれど、そんな「自覚」があるからこそ、火憐よりも遙かに「本物らしく」見える。もちろん、彼は羽川翼のような「本物」ではないのだけれど、本物らしく「生きている」(この対比が生きてくるのは、『猫物語(白)』のエピソードですね)。

 記事の最初の方に、ここまで正義の相対化が進んだら、正義を語ることに意味がないといったのは、この辺りに起因しています。ある意味で、正義が「語り得ぬもの」になってしまっている。だから、語ることができないならば、そのように「生きる」ほかないんですね。このアニメのどっかで、冗談めかして火憐たちが「私たちは正義そのもの」と言っていたのは、実は間違いではない。その自覚が伴っていないだけで、真に迫っていた箇所ではあるんですよ。

「偽物語」第一巻/かれんビー(上)【完全生産限定版】 [Blu-ray]
「偽物語」第一巻/かれんビー(上)【完全生産限定版】 [Blu-ray]
「偽物語」 第二巻/かれんビー(中)【完全生産限定版】 [Blu-ray]
猫物語 (白) (講談社BOX)
猫物語 (白) (講談社BOX)


前回第04話「かれんビー 其ノ肆」の感想へ
次回第06話「かれんビー 其ノ陸」の感想へ
アニメ『偽物語』の感想インデックスへ