WS000784「ずっとずっと戦ってきたの。大好きな人たちを取り戻したくて」(櫻井螢)

『ディエス・イレ アクタ・エスト・ファーブラ』のネタバレ感想/プレイ日記です。Chapter10「Pallida Mors」、Chapter11「Speculum Sine Macula」終了。


「運命の槍の陰打ち……黒円卓の聖槍(ヴェヴェルスブルグ・ロンギヌス)は、創造主である櫻井の一族にしか使えない。いいえ、櫻井の一族だけを狙い打つの。他の魂は一切吸わない」(櫻井螢)

 櫻井螢がこの戦いにかける想いを吐露。やはり目的は、トバルカインとして、戦い続けてきた家族を――とくに、三代目である兄を――蘇らせる、死者を生き返らせるというもの。この辺り、十一章で描かれるリザさんが宿していた魂がほぼ幼児で、彼女も「子を救う」というような目的で動いていたことを思うと、全編に渡って描かれるテーマのようです。

 聖槍、いわゆる「ロンギヌスの槍」の偽物を打つことになった、刀鍛冶の一族の物語を語る櫻井さんなんですが、話が進むにつれて、声が幼くなっていく(これまで非情を演じてきたのが剥がれ、素が出てくる)演技が素晴らしかったです。どう表現して良いのかわかりませんが、心が泣いている? のが感じられる演技。声優さんの業の凄みを感じましたよ。

 そんな悲痛なる決意も虚しく、というか、死者を生き返らせても良いのか悪いのか、というテーマに触れもせず、そんなこと俺には関係ねえと言わんばかりの勢いで戦いが始まった辺り、笑った。櫻井さんも櫻井さんで、自分の動機が蓮のそれに負けてないと思ってるって。それだけで良いのか。どうやら死者を蘇らせる云々は、櫻井螢ルートで描かれるテーマなのかな。

 トバルカインの暴走を怖れて、本気を出せない櫻井さんを置いといて、結局蓮はトバルカインとぶつかることに。雷撃で展望タワーから吹っ飛ばされた刹那、「創造位階」に到達する(厳密にはヒントを得る)シーンが、地味ながらも燃えました。

 これまで散々描かれてきたように、蓮が創造位階で作る自分ルールは、「時間が止まる」というもの。今が、この日常がずっと続けばいいと希った、彼の「聖なる時間」の発露。

 時間が止まればいい。

「今が永遠に続けばいい」

 いつもそんなことを思っていた。


 しかも、ここで到達したのは、メルクリウスにまで揶揄され、否定されていた「時間の停止」そのものではなく、自分の体感速度を極限までに引き延ばす「刹那の凝縮」だったっぽい(足場にしたガラスが動いたことから、そう判断)。

 そして、トバルカインを倒し、櫻井さんをも手にかけようとしたところで、もう一度ギロチンを振り下ろす覚悟もなく、彼女の憎悪を一心に受けながらも撤退。最初の目的だった、同じ場所で黒円卓のメンバー二人以上を倒すことはできず、引き続き蓮たちに不利な状況は続きます。



 続く、第十一章は、蓮と香純、司狼とエリーでダブルデートin遊園地。最終決算前、最後の日常の一コマという状況ですが、香純がすでに自分の行いに気づいていることや、櫻井さんが敵意剥き出しで香純の前に出てきていたりと変わってしまった「日常」をまざまざと見せつけられます。というか、実はいちばんのほほんと日常を噛みしめていたのは、蓮という有り様だったりします。蓮、鈍すぎ。

 櫻井さんから改めて、先輩や神父が「こちら側」の人間であり、香純の言う日常(それはつまり蓮が求めるものでもある)がいかに脆いかと語られた上で、それでも「負けない」宣言をする香純がカッコイイ。罪を背負った上でそれでも光を求めようとする姿は、少年漫画の主人公のそれだよ。蓮がぼーっとしている分、香純頑張ってる。

 でも、これまで守られてきたから今度こそ私が(蓮を守る)、という流れは、首狩り魔事件の際に吐露した香純の動機と重なってしまう部分。この「繰り返し」はたぶん意図されたもの(既知感の範疇)だと思うので、どうなんだろうなぁ。このルートで、法則(ゲットー)の先を見られるのか……。

Dies irae ~Acta est Fabula~ 通常版
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神咒神威神楽 初回版
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