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アニメ『No.6』#4「魔と聖」のネタバレ感想です。遅れながらも、愉しく見ております。
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敵か味方か、自分か他者か、No.6の内か外か、と、次々と「境界」を打ち込んでくるネズミに対して、イヌカシの「同じ人間か?」という問いに迷うことなく「同じ人間」(そこに「境界」はない)と答える紫苑。
素晴らしい対比。紫苑くん、さっすがー、と思いたくなりますが、一方でこの紫苑の考え方は、容易に裏返る可能性を秘めている。何気に、No.6の在り方の核心をついているような気がしますよ。
というのも、「同じ人間」で「境界」(差別)がないというのは、容易に個々の人間性を否定する側に回ってしまうから。ぼくはそこまで否定しませんが、No.6の「黄昏の家」は住む人みんなに一様の「幸せ」を、穏やかな死を与えてくれる。これも「同じ人間」として扱ってくれている部分だと思いますが、紫苑の考えはこうした発想に至る可能性もあるわけですね。
この問題意識を持ちながら、話を進んでいる、と思います(後の二話を見る限り)。単純に、境界を無くせばそれで終わりというわけではなく、その境界があることを前提として、どう人と接していくのか。
その象徴として、OPの映像があるのかな、と。ラストで、紫苑とネズミの前に、虹によって「境界」が現れるのが美しくも切ないところなんですが、その虹が「境界線」を残しながらも、その上で二人を包み込む(境界を無効化していく)んですね。
断固として「境界」というものは存在する。
でも、それを突き抜けていく「瞬間」はある。
そもそも、そうした「境界」が存在しなければ、紫苑とネズミ、二人の出会いはなかった。
ぼくはこの物語が紫苑と沙布の男女の物語ではなく、紫苑とネズミの男同士の物語である理由は、そこにあると思います。男女だと「一つになる」という言葉があるように、容易にそうした「境界線」(他者性)を曖昧にしてしまう(この辺り「セックスしたい」「精子ほしい」で不器用さを描き、「生殖活動における情動」が云々で、まだ科学=分ける学問側に沙布がいることを描いたのは、絶妙ですね! 沙布可愛い)。
だけど、(まあ異論はあるでしょうが)男同士というのは、それがなかなか難しい。ようは、「他者性」というのが、ある程度担保されている。その「境界」があるということが大事なんだろうと。そもそもそれがあるからこそ、他人を好きになったり、愛したりできるんだよね。
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NO.6 〔ナンバーシックス〕 ♯2 (講談社文庫)
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