「枯れ落ちろ 恋人 死骸を晒せ(Sohie, Welken Sie――Show a Corpse)」(ヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイ)
『ディエス・イレ アクタ・エスト・ファーブラ』のネタバレ感想/プレイ日記です。Chapter8「Pied Piper」、Chapter9「Muss Murderer」終了。香純よりも、櫻井さんが可愛く思えてきた……。
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第八章がほぼ全般にわたって、ラブコメっていたので、九章とまとめて感想を。司狼のアジトへと拉致られてきた香純と、怪我から復帰した櫻井さんとの問答が、面白かったです。香純の反応が面倒くさすぎて、櫻井さん、蓮と付き合ってることにしちゃったし。
八章は基本的には九章へ向けての繋ぎの回ですが、櫻井さんから何気に重要な情報として、解放されたスワスチカでは、それ以上戦闘を行わないことが明かされます。これは上手い設定。どうしても、格上の相手と戦わなきゃいけない性質上、相手が撤退するにしても、それがご都合主義で終わっては話にならない。そこに設定上、引かなければいけない理由を置いている、と。うまい。
#その辺り、『Fate/stay night』で、ギルガメッシュが「興が乗らん」という理由だけで戦いをやめるのに感心したような気が。ギル様のキャラを立てつつ、撤退の理由を作る辺り、当時は相当新鮮に思いましたね。
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「ハーメルンの笛吹き」よろしく、学校に誘われる香純と櫻井さん。この辺りになると、もはや疑いようがなくなってくるところですが、櫻井さん、黒円卓の中でも相当雑魚いキャラっぽいです。エイヴィヒカイトとは違う体系の魔術とはいえ、一般人の香純と同様に、釣られてます。いちいち保護欲を刺激する女の子です。
#あと櫻井が述懐しているように、「ハーメルンの笛吹き」以前に、同型の伝承がスラブに残っているなら、笛吹きの起源に関する研究の方も違った様相をなんか示していたりするのかな、と興味が。あれ、もう一つ何故あんな伝承が生まれたのかわかっていないのです。
普通に時間は昼間なのに、中に入ると、夜で満月すら現れる学校は戦場と化す。ついに明かされる、レベル3「創造位階」。これは、術者それぞれの「自分ルール」を、他者および世界に押しつけるというものだそうな。ヴィルヘルムの「死森の薔薇騎士(ローゼンカヴァリエ・シュヴァルツヴァルド)」なら、吸血鬼らしく「夜の具現」、ルサルカのは「影による拘束」。
ルサルカの能力が若干のショボさを感じなくもないですが、相手を拘束することで、いわば「足を引っ張る」能力をもって、ルサルカのキャラを立ててるのが面白い。
独自に魔術体系を編み出して、世界最高の魔術師だと思っていたのに、メルクリウスにあっさりと追い抜かれ、あげく名付けられた名は「マレウス・マレフィカム」(魔女への鉄槌)。どうやっても彼に追いつけないので、他者の足を引っ張ることを選んだ、と。
この「創造」のルール、ミルチア・エリアーデが言うところの「聖なる」空間、時間を、「俗な」空間、時間に押しつけていると捉えるとわかりやすいか。
宗教的に「聖なる」とか言っちゃうと、いわゆる神様とかそういう超越的存在を思い描いて、げんなりしてしまいがちだけど、エリアーデが言う「聖なる」というのは「自分が特別思い入れのある」、いわば「自分にとって(固有の)意味がある」ということを指す。例えば、「聖なる空間」と言えば、恋人と初めて行ったデート先、とかそんなん。他の人にとってはなんの思い入れのない場所であっても、そこに固有の意味を見いだせるなら、その人にとっては「聖なる」場所となる。
「聖なる」とは言いつつも、「俗っぽい」にもほどがあるけれど(実際エリアーデ自身も、上の例はもっとも俗っぽい聖だと言っているが)、一方、エリアーデのいう「俗」とは、作中の言葉で言えば、「物理法則、常識」に支配された世界のこと。誰にとっても一様に世界が広がっていることを指す。時間はひたすらに同じように流れ、どの空間もそれがあるという以上に意味がない。結局、客観的に見て、どうかというと話なので、ヴィルヘルムは昼間という「俗な時間」を、自分にとって「聖なる時間」である夜に変えている。吸血鬼たらんとする(すなわち、客観的に見て彼は吸血鬼ではない)ヴィルヘルムにとって、夜という時間はそれだけ特別だということ。
#なので、吸血鬼らしく、銀のアクセサリでダメージを受けたりもする。
この「聖なる」「俗」という言葉の定義は、再三取り扱ってきた「複数の名前ギミック」にも拡張できる辺り、少なからずエリアーデの著作が世界観構築にあたってヒントになっているのかな。宗教もとい信仰について考えるにあたって、超絶有名な人らしいし。
そんな設定美に感動しつつも、読み進めておりました。かなりガチガチの設定好きなところがあるし、設定や世界観それ自体が作者の「語りたいこと」に直結しているのが好きなんで、「読み」甲斐があります。この世界を読み解く感じ、すげー愉しい。
蓮と組み合っていたルサルカは、櫻井さんの横槍を受けて、ルサルカ死亡。五つ目のスワスチカ解放で、せっかく盛り上がってきた司狼VSヴィルヘルム戦も終了。ベイは相変わらず、良いところで本懐を遂げられない辺り、ほんとうに設定が効いてます。
あと、氷室玲愛先輩を、学校に連れてきたのにも、理由があったらしく、ヴァレリア神父は一人「賭けに勝った」とほくそ笑んでおりました。五つ目のスワスチカ解放が、マキナ、ザミエル、シュライバーといった、三人の大隊長が帰ってくる条件になっていたということですが、もう一つの条件を潰したことで、このルートでは彼らは出てこないっぽい。
ルサルカが、首狩り魔だった頃の記憶を香純に取り戻させたこともあり、波乱が待ち受けてそうな第十章に続きます。
聖と俗―宗教的なるものの本質について (叢書・ウニベルシタス)
ドヴォルザーク:歌劇「ルサルカ」
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