
『ディエス・イレ/アクタ・エスト・ファーブラ』のネタバレ感想/プレイ日記です。残っていたChapter2「Xenophobia」を、さくっと進めておりました。
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俺は俺を取り巻くちっぽけな世界を好いている。
それは香純であり先輩であり、シスターであり神父であり、名前も知らない学校の連中も含めてこの街の総て。
教会から帰ったあとは、香純とのつかの間の日常を噛みしめる蓮。両親も親戚の存在も知らぬ蓮が、綾瀬家に居候していたことなどが語られます。養子縁組することになりそうで、その際に香純と結婚できるのかどうかをちゃんと確認している蓮が可愛いです。彼、何だかんだ言って、香純のこと、好きすぎるだろ。
そんな日常を噛みしめつつも、その晩に一気に非日常へと転落していく姿がお見事。伝奇小説なんかでよくある、殺戮者と主人公の視点が合わさるシーンが描かれ、犯人が誰なのかという疑問を引っ張ります。そこへ、ベイとルサルカが圧倒的な異物感でもって、登場してくるシーンが圧巻。
ここからは、もう大体主人公蹂躙モードです。主人公が蹂躙するのではなく、主人公がボロボロにされる側。「ボロ雑巾」という言葉が生やさしくなるほど、圧倒的な力の差を見せつけられるわけですが、それでも「俺はこんな展開知らない(から、死なない)」とか言い出す蓮が格好良い。
ここでもメルクリウスとの会話が要所要所で挟まれるのですが、あくまで彼が未知を渇望しているのに対して、蓮はひたすらなまでに「既知感」を肯定するという対比が描かれます(「願い」そのものは違いますが、どちらも本質は同じもの)。
既知感は当然「日常」側の論理なわけですが、ここでメルクリウスから、(蓮の望む)それは究極的には「時間の否定」に他ならないと突っ込みが入ります。『けいおん!』的日常ではなく、「サザエさん時空」を構築してしまうよ、おまえは、という突っ込み。
そんな会話を、「凝縮された刹那」の中で交わす二人。やはり、この辺の「時間の停止」と「凝縮された刹那」辺りの対比(もとい矛盾)がポイントになってきそうです(『神咒神威神楽』などはものすごい勢いで、蓮が「時間の停止」に傾いた物語ですね)。
バトル要素的には、エイヴィヒカイトを持つ者には、同じ秘法でもって対抗するほかない。今回はメルクリウスからマリィという贈り物が贈る旨を聞いたところで、櫻井螢の介入が入り、戦闘は終了です。そして、日常へと帰り着くために、香純の寝顔を確認するという変態行為に走る蓮。いや、好きな人の顔を見て安心するというのは、心情的にわかりますが、夜中に寝顔を見に行くって!
さらに、何が悲しいって、後の展開を思えば、それによって日常を確認しようという歪さ。上記の引用台詞でもそうですが、すでに蓮の日常には「異物」(=神父やシスター、それに先輩)が混じっているんですよね。というか、そもそも彼にほんとうに「日常」なるものがあったのか、と(司狼の言葉より)。
そんな仮初めの日常が、櫻井螢とルサルカの転校によって、完全に崩壊したところで、第二章は終了。でも、ほんとうの絶望感(ゼノフォビア)はまだまだこれからです。

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神咒神威神楽 初回版
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