WS000000「ついて来い、いくらでも抱いてやるわ! おまえたち全員―― 益荒男ならば率いて(愛して)やる」(久雅竜胆)

『Paradise Lost 新装版』に収録されている『神咒神威神楽』体験版のネタバレ感想です。のっけから盛り上がってるなぁ。とりあえず姫さんに、ベタ惚れ。


「魂、か。御身はその救済を望んでいると」(御門龍明)

 物語の大きな目的は、東に住む化外を殲滅するというもの。そのための益荒男を募るべくして、開かれた「御前死合」。とりあえず僕はこの御前試合が催され、八人の益荒男達が終結するところまで読みました(ここから4つの個別ルートに突入)。もう、ここまでだけ個人的に、大満足。姫様、凛々しすぎてベタ惚れ。

 東征に行く目的は先に挙げましたが、もうちょっと深いテーマとしては「魂の救済」というのが挙げられます。というか、生きる意味、死ぬ意味の回復か。

#この世界では、生きることと死ぬことが等価であると、そう指摘されているんですね。

 というのも、この世界――後に「大欲界天狗道」と呼ばれる――では、死後の世界などが概念としても存在せず、ただ今この瞬間の「生」がすべて。

 そして、もう一つの特徴として、もう完全に「俺様主義」の世界なんですね。己が輝けばただそれで良い。誰が死のうとも生きようとも、それらすべては己を輝かせる衣裳に過ぎんと。そうした世界が舞台。

 そうした、僕らの感覚とは乖離したものがひしめくこの世界で、ただ一人僕らと同じような、仲間が大事で愛する人が大切で、とフツーに感じられるのが、この八人の将となる、久雅竜胆鈴鹿その人なのだ(もちろん女の子です)。このお姫様が、もうとびっきり可愛くて、男前。

 御前試合に、乱入した彼女は言うのである。

 この世界において当たり前だとされている生き方――ただ己のためだけに生きる――ことは間違っていると。この告発をすることのなんと勇気のいることか! なぜなら彼女自身もわかっているとおり、この世界において間違っているのは久雅竜胆鈴鹿その人なのである。異端は彼女の方なのだ。

 だけど、彼女はそれを知った上で、なお言葉にするのである。

 その生き方は間違っていると。そして、何よりも軽いと。(「真剣」勝負なわけだから)文字通り「命」を懸けた御前死合。だけど、その戦いはすべて「死者の踊り」であるがゆえに、軽いと、そう啖呵を切るのだ。殺すことも殺されることも恐れぬのに、それでもなお命を懸けても、それは決して重くないのだと。その上で、「戦場」に降り立った彼女は言うのだ。

「だが私は違うぞ。白状してやる。おまえたちが怖くて堪らぬし、死にたくない」(久雅竜胆)

 怖いと。死にたくないと。それならば、武家の当主として安全圏で家臣の戦いを見ていればいい(この時彼女に家臣はいないけど)。だけど、彼女はそうしない。死者と同じ戦場に立った上で、彼らとは違う自分の在り方を高らかと宣言するのである。

「私は今、私の魂を信念のもと懸けている。おまえたちのそれと違い、この我ながらの無鉄砲さは死者の踊りではないのだよ」(久雅竜胆)

 そして、それに応える覇吐さんが、たまんねー。曰く、

「惚れたぜ、久雅の姫さん。あんたのために俺は死のう」(坂上覇吐)

 究極的な意味で、利己主義しかいないこの世界の中で、あんたのために死のうと彼は言うのである。ここがもう最高潮。

#おそらく竜胆のこの言葉に、最初に反応した覇吐、夜行、咲耶と、竜胆本人が、後に「覇道」に至る可能性を持っている人たち。いまは竜胆以外「求道」らしいですが。

 そこから始まる覇吐VS凶月刑士郎戦が熱すぎ。それまで自分の持てる可能性はすべて具現化できる(ゆえに、八方向同時攻撃とか可能)という紫織や、放つ殺気のあまりに斬撃が見えない宗次郎とかだいぶハチャメチャな異能力バトルしてましたが、ここからは雪空の元雷とか落ちてきますからね。もはや異次元過ぎるというか、ここまで来るとギャグ(笑)。

 そんな破天荒なバトルをしつつも、ちゃんと竜胆の影響を受けて戦う覇吐さんですよ。冒頭予知夢として竜胆が見た、ただ己の輝きのためだけの「戦い」とは既に変わってしまっている(だけど、この戦いも「必要なこと」として描かれている)。そんな彼は異能を使わぬ、刑士郎に問う。

「確認させろや。おまえはおまえを守るためだけにその歪みを封じてんのか?」(坂上覇吐)

 凶月一族。「禍憑き」(まがつき)と呼ばれる、その異能を発揮すれば、その一族の誰かに「返し」が行く。ゆえに、妹想いの彼が異能を使わぬのは、その矛先が妹に向かぬためでは? と。自分より大事な女がいるんじゃねぇかと、ちょっとしたおせっかい。

 これは「他者を想う」という、この世界には存在しないはずの「概念」を、竜胆がこの世界に持ち込んだためでもあり、そして、おそらくそれだけではない。なぜなら刑士郎は、竜胆の言葉に露ほど感心した様子を見せない。少なくとも、覇吐ほどには、この辞典では影響を受けてはいない。

 それはつまり、「自分を大切にする」ということと「他者を大切にする」ということは、不可分なのだと。切っても切り離せない、表裏一体のものだとそう告げているように思う。

 それは冒頭の夢で、竜胆の影響を受けていない彼らが、相手を認めたという己を信じるあまりに、結果としてお互いを心底信頼し合って戦っているのに対して、竜胆自身はこれほどまでに誰かを信じられたことがないと痛感した瞬間がヒントで。究極的には、今の竜胆の在り方が間違っている、相手を真に信頼することは出来ないのだと。

 これは、序章で書かれている、咲耶の手紙からも窺える部分で、この辺りが着地地点になるんだろうなぁ。

→現状『Paradise Lost 新装版』でしか体験版はプレイできませんが、Webで公開されたら、またご紹介しますね。

PARADISE LOST 新装版
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神咒神威神楽 初回版
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