STAR DRIVER<スタードライバー>輝きのタクト 1 【完全生産限定版】 [Blu-ray]「彼は、僕より強いから」(シンドウ・スガタ)

『STAR DRIVER 輝きのタクト』第十三話「恋する紅い剣」のネタバレ感想です。1クール目ラストエピソードというだけあって、本作のエッセンスぎゅうぎゅうでえらく感動してしまった。


「まずは、弟子がお相手します」(シンドウ・スガタ)

 この台詞がもう本当にスガタらしいなぁ、とニヤニヤしていました。ずっと本音を隠して生きていたというだけあって(それがタクトとの決闘によって一皮むけたのが、現在の彼なわけですが)、やっぱり彼の言葉には色々と含みを感じます。

 ようは、嘘と本音が入り交じっているような、そんな印象を受けるんですよね。それを表情や声色で(ここはさすがに福山潤さん!)、判定できるようになっている。

 今回の「弟子」という言葉もそうで、いかにも冗談めかした言い回しと周りの反応で、スガタは、あっ冗談を言ってるんだな、と感じられるようになっている。それに、彼は明らかにタクトを弟子ではなく、師(「自分の進むべき道を先に進んでいる人」という意味です)として扱っていると、僕は思ってます。

 元々第九話の激突前に、スガタは「お前(=タクト)は僕と同じで、他人と本気で向き合っていない」という指摘をしていて、それは一面では正しかった。というのも、過去の「閉じていた」頃のタクトは、それまでのスガタの生き写しなんですよね。

 果たして、その過去が本作で語られるのかどうかっていうのは結構疑問に思っているんですが(既に「終わっている」お話っぽいので)、何にせよ、そうした閉じた過去を乗り越えて、今この瞬間まで歩んできたのが、タクトという少年だった。

 何かに敗北したとしても、決して立ち止まらない。いや、一瞬は立ち止まったとしても(それが「閉じていた」時だから、タクトが立ち止まっていた瞬間はきっとあった)、また立ち上がって歩き出すことができる。文字通り簡単には「終わらせない」少年だからこそ、誰しもが彼の姿を眼で追い(恋をして)、後ろ姿を追っかけているんですよね。

 スガタも、シモーヌも、カナコも、ベニオも、「ゼロ時間」(時間が進まない場所)で敗北を喫したけれど、決して立ち止まらなかった(逆に、バニシングエイジの三人組は、タクトの方を見ず追っかけもせず、立ち止まっちゃってるんですよね)。サイバディ戦で敗北したとしても、それがイコール「死」(これもその人の「時間の停止」)には繋がらないという、「ロボットもの」としてはありえない設定があるからこそ、敗北のその翌日にでも、もう一歩進んじゃうんですよね。

 そもそも「ゼロ時間」。

 時間が止まっている時間だから(でも、その内部にいる人たちの時間は進んでいるからこそ)、その遅れていた時間を取り戻そうとするかのように、加速していく。

 シモーヌ然り、カナコ然り。特にカナコでしょうか。

 サイバディ戦への敗北が――というか、彼女にとっては自分が全力を出せる存在がいること自体が――タクトとの関係を一気に進めていく。わたしは人妻だから、いつも彼の背中を見ているだけだから、そんな理由でそれ以上の関係になることは、タクト以上にカナコ自身が留めていた。

 だけど、もはやそんなこと言っていられないと。

 このリビドーは、前へ前と進もうとする原動力だけは、抑えられない。抑えつけたくない。それが倫理的にアリなのかナシなのかというのは、もちろん突っ込みとしてあるんだけど、もうとにかくどこまでもまっすぐ前へ進んでいこうとする彼らの姿に感動。



「キャンバスを前にすると、意外にもまた描きたいっていう気持ちが蘇ってくるのに、驚いているよ」(ヘッド)

 そして、これはキャラクターたちだけでなく、もう少しおっきな視点の話になっていくんだけど、「物語」自体がもはや新しいものが生まれないといわれる時代です。人によっては、『神話の法則』などをあげて、ギリシャ神話時代に既に物語の類型は出尽くしていて、今の物語はワンパターンという人もいたりします(僕自身は『神話の法則』を未読ですので、何とも言えません)。

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 それに対して、ご存じ(笑)、僕が大尊敬しているあいばさんがコメントしているのが上の記事になりますが、本当に押さえて欲しい素敵な記事なので、じっくりと読んでください(あっ、ちなみに文中に出てくる木坂さんという人から、僕もここ数年間ずっと色々と学ばせてもらっています。Webで尊敬している方の一人です)。読み終わった後に、まだこの記事に戻ってきてくれるという奇特な方は、続きをお読み下さい。まだまだ続きます(笑)。

 第九話の感想のときに、今後ヘッドとサカナちゃんの終わってしまった「物語」がいかにして切り開かれていくのかが見所みたいなことを書きました。タクトやスガタのように、彼自身がまた物語を始められるのかというのがずっと興味の対象ではあったんですが(そのきっかけを与えたのが、タクトに影響を受けたスガタというのがまた!)、今回ようやくヘッド再起動。

 イカ刺しサムと少女に喩えられた彼らの物語ですが、サムたちとヘッドたちで唯一違ったのが、ヘッドたちはまだ「死」を迎えていないということ(という意味では、「死」を迎えていたのは、タクトの方なのかな、と思ったり)。「ゼロ時間」という仮初めの時間停止があるだけで、本当の意味では時間は止まっていないイコールまだ終わってない!

 今年一番衝撃を受けた物語は劇場版ダブルオーか『まおゆう』かというのが、もっぱら僕の感覚ではありますが、『まおゆう』はこの辺りの面白さが体感できますので、超オススメ。

 物語の始まりは魔王と勇者の邂逅から。本来の物語ならば、そこで終わり。だけど、『まおゆう』はここから始まるんですよね。魔王と勇者が戦って、勇者が勝つだけでは物語は終わらない! とばかりに。

まおゆう魔王勇者 1「この我のものとなれ、勇者よ」「断る!」
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 このサイトで書籍版が試し読みできますし、元がWeb小説なので、全文読めます

 ……ね? スタドラに近いでしょ?(そんな無茶な(笑))

 いや、まあ冗談半分本気半分ですが、終わったと思っていた物語がまた始まる(かもしれない)という展開は、本当に胸が躍ります。だけど、その一方で、「終わり」の条件が変更されつつあるのが、物語の運びとしてやっぱりうまいなぁ。

 元々タクトが綺羅星のサイバディを全部壊すことで、ワコを島の外に出すというのが目標の物語でしたが、

「サイバディは、再生できるのか。まだ失われたわけではないんだ」(シンドウ・スガタ)

 と。ここに来て、サイバディが復活してしまう展開に。これで単純にサイバディをすべて破壊すればいいというわけにはいかないんですが、何が面白いって、それでもシモーヌやカナコ、ベニオはもうサイバディには乗らないだろうと思えることです。

「君みたいな男が、本当に強いのかもな」(シナダ・ベニオ)

 タクトとの戦いを通じて、本当の強さとは何なのか? ということを知ってしまった以上、サイバディの力に頼る必要はもうないんですよね。これこういう言い方で伝わると良いんですが、多分えっ、どういうこと? ってなっていますよね。

 もっと別の言い方をしてしまうと、彼女たちにとって、タクトが銀河美少年(=ヒーロー)になってしまったからだと。今回ベニオの心の声がダダ漏れ状態になっていましたが(ダーカーと同様に、スタドラはほぼ内語が使われないです)、これは今回が彼女視点の物語だというのを指し示すと同時に、彼女から見たタクト像がいかに変わっていったのか? というのがはっきりと分かるようになってます。

「人生に対する、積極的なスタンスと本来持ってるあたしの生命力の大きさが、こういうひとときの快楽を貪るリビドーを生んでしまうの」

(ホントは、あんたを操りたいだけだよ)

「まっ、嫌いなタイプじゃないかな」

(コレクションに加えたかっただけ)(シナダ・ベニオ)


 と、何でもないところから、

「思えば、小さい頃から強い力に憧れていた。あたしとあたしの世界を変える力が欲しかった。そして、変えてくれるかもしれない男に惹かれた」(スカーレット・キス)

(一度立ち会ったのが、敗因なのか)


 純粋に力に惹かれ、そして、ラストには、

「君みたいな男が、本当に強いのかもな」

「似合ってないもん」(シナダ・ベニオ)


 憧れへと。この流れは、非常にわかりやすい形でタクトの行ってきたことを映しているんですよね。サイバディをすべて壊すには「力」がありさえすれば良かった。だけど、サイバディはリビドー(「前へ進む原動力」と僕は捉えてます。ここで終わってたまるか!というやけくそですね(笑))がある限り、再生できてしまう。スタドラ内だけでも、まだまだ終わってない!と次々と新しい「始まり」を迎えている人たちがいるわけで、そう簡単に人は前へ進むことを諦めたりできない。

 だから、本当にサイバディをすべて破壊するにはその搭乗者(スタードライバー)自体をどうにかするしかない。その一つの答えが、これなんですよね。

 彼女たちの「ヒーロー」になること

 これはなぜか?って聞かれると難しい。最近「師」とか「ヒーロー」という言葉について考えていたりもするんですが(所謂就活の自己分析の一環でですが(笑))、僕は大抵どんな時にでも憧れている人がいるんですよね。でも、たまにそういう人たちのことを忘れてしまうことがあって、そうしたときってどうも空回りしてしまう。逆に頭がよく回っているときは、そうした人たちに及ばずながらも何かできることはないか、と考え、行動しているような気がします。

 これは何ででしょうね?

 憧れの人を「見る」ということは、その人から「見られる」ことを意識せざるを得ないからでしょうか。下手なことはできない!みたいな。いや、偽りの仮面に惚れられても仕方ない!って感じかな。

 僕の個人的な体験に過ぎないので、思い当たる節がないという方もいらっしゃるとは思いますが、ぴくりと来てくれたら嬉しいです。誰かに憧れることができるっていうのは、すごく大切なことだと思っていて、誰かを心底ヒーローだと思える人しか、「ヒーロー」には成れないんじゃないか、とそんな風に思います。

 いや、これ一応念のためにいっておきますが、だから、憧れる人がたくさんいる自分が「ヒーロー」だというわけではなく(もちろんそう思ってくれる方がいたら、嬉しいですが)、そうした印象を今までの経験なり偉人の話なり物語なりを読んで感じるというだけです。

『まおゆう』のメイド姉にとってのヒーローが勇者であるように、
 自分が負かしたベニオのことを「強いね」と言えたスガタがタクトのことをしっかりと見ているように、
 スガタの強さに憧れたベニオがいつの間に剣道部でアイドルになっていたように、
 そして、おそらくはタクトにとっての「じいちゃん」がそういう存在であったように、

 そんな共通点があるんじゃないかなぁ、と想像します。刹那にとってのマリナ姫がそういう存在であったかどうかは難しい。



 これまで書いてきたような視点で見てみると、

「ジョージはなんでまた部屋にこもってるの?」(シナダ・ベニオ)

 ジョージの今後の行く末が不安でならない。僕は彼にはすごく良い役回りが回ってくるんじゃないかとものすごく楽しみにしているんですが、カナコに負けてまた閉じこもっているという。しかも、ランニングマシーンという、どれだけ走り続けても決して前には進めないトレーニング。救いがあるかもと思えるのは、一枚脱いだ点ぐらいですかね。いや、これはもしかしたらタクトに負けたときも脱いでいたかもしれないので、予断は許せませんが、一歩本音(素っ裸)に近づいたということで。

 本当にもう、早くプライドをかなぐり捨てて、カナコに師事してこい!!と心底思ってしまいます。うーん、でも、もう一回ぐらい誰かに負けちゃうのかな(秋でもう一回負けて、冬辺りで汚名返上かな、と)。その後、部屋から出て、外でランニングとかしだしたら期待。



「まさか……。そうか、彼女か」(シンドウ・スガタ)

 この時の、スガタの表情がすごく好きなんだよなぁ。ここ、何でこんな表情しているんだろう? タクトと戦えば、大切な何かに気づくと思ってたりしたのかなぁ。スガタの本当の弟子は、ベニオっぽいよね、って思った一瞬でした。

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