◇
魔王「損得勘定は我らの共通の言葉であることを。
それはこの天と地の間で二番目に強い絆だ」
(中略)
青年商人「そうそう。……二番目に強い、と
おっしゃいましたね。一番はなんなのです?」
魔王「知れておる。愛情だ」
勇者「誰よりも利に聡く、誰よりも真剣に損得勘定で
生きている商人は、もしかしたら世界で一番最初に
損得では割り切れないものを見つけるかもしれない」
青年商人 「いまこそ云えますよ。
“損得勘定こそ我らが共通の言葉”
――その意味するところは
“誰もが、少しでも幸福になりたい”ということ。
他者の幸福を認めると云うことだと」
青年商人「誰もが異なる正義を持っているのです。
我らは誰しもが、そうなのです。
正義ではわかり合えない我らは、誰しもが
“もうちょっと幸せになりたい”とささやかな願いを抱いている。
ならばその一点で妥協し取引するのは、
我らが役目でしょう。ちがいますか?」
このほかにも個人的に名言が多いと思う本作ですが、なかでもこの一連の流れが素敵です。魔王たちが模索している「丘の向こう」。その行き方についてばっちりと答えようとしています。そして、そのために「商人」という存在にスポットが当たります。これはすでに先行作品として『狼と香辛料』というライトノベルがあります。この物語では、一つの街を舞台にしたミクロな経済ではありますが、それによって好きな女の子(狼ですが)を助けられるということが描かれている。そこから一気に拡大して、世界規模の経済によって同じ事をやって見せようというのが本作「まおゆう」です。

狼と香辛料 (電撃文庫)
馬鈴薯の生産や物価上昇というミクロな動きがいかにマクロな経済に繋がっていくのか、戦争状態を回避していくのか、その流れのダイナミズムがたまりません。現代の経済は本当に複雑で全体として何が起こっているのかわからないんですが、この中世を模したファンタジー世界では個々の生活が世界にちゃんと繋がっているのがわかります。この辺りの現代の特徴のことを、時に「生きている実感のない」と表現したりしています。それについては、川原礫さんの『ソードアート・オンライン』に詳しいので感想記事を参照ください。

ソードアート・オンライン〈1〉アインクラッド (電撃文庫)
ここちょっと「セカイ系」のお話に繋がっていきます。「セカイ系」的な物語とは、おおざっぱに言うと、「私」と「世界」が同じものになってしまった状態で起こるお話です。本来ならどうやっても混じるはずがなかった自分と世界の区別がつかなくなってしまった。こういう物語類型が何故生まれたのかというのは諸説あると思うんですが、僕的にしっくり来ているのが、世の中あまりに複雑になりすぎて「世界」と「自分」を繋げているもの(社会とか経済の仕組み)がわからなくなってしまった、だから、もういいや、えいっとその境界を飛び越えてしまったという説ですね。
この発想たくましいにもほどがありますが、というか、あまりにたくましすぎたせいか、最近ではその大元『エヴァ』自体がそれを変えようとしています。
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新劇場版『ヱヴァ』では原作ではあまり描かれなかった名もなき住人(=社会)をちゃんと描いている。そして、何よりシンジくん自身にも変化が起こってます。これ『まおゆう』にも重なる部分なんですが、世界と同一化してしまうことによって、世界から勝手に「エヴァンゲリオンのパイロット」という「役割」を与えられて、その「役割」と「自分」との差に思い悩み、最終的には投げ出してしまったのが普通の『エヴァ』です。それが『ヱヴァ』ではだいぶ大人になって、自分の好きな女の子を助けるためなら乗ってやるぜ!(意訳) という大人なシンジくんが見られます。「個」としての「願い」を叶えるために、世界から与えられた「役割」をうまいこと使い出すわけですね。
そうして、ようやく『まおゆう』にお話は戻ります。というか、最初の「魔王」の話に戻ります。基本的に生まれたときの身分から逃げられない中世的な世界が、自分の本質に則した「役割」を自由に探していく近代的な世界へと変遷していく、そういう歴史の流れをファンタジー世界を舞台に切り取っている。それが本作です。
ですが、ここに一つ問題があります。「個」の追求は本当に素晴らしいことなのですが、それが行き過ぎると非常に危険だというのが、九〇年代のエンタメ業界で描かれます。そう、それも『エヴァ』です。そこでシンジ君は世界に要求された「エヴァンゲリオンのパイロット」から逃げ続け、自分の本質を追求しすぎるあまりに、しまいには世界などどうでもいいと自分の殻(自意識)へと閉じこもってしまった。
対立する二つの概念を止揚し再構築することに意欲的な本作では、こういう部分に対しても最初から自覚的です。魔王の「わがまま」がある種その答えになってます。「魔王」としての本分(戦争の着地点を探す)と「個」としての本分(「丘の向こう」を見たい)という両面を二つとも立てたうえで、行動を開始します(なので、どちらかの本分を忘れたとき彼女は糾弾されてしまいます)。これ、言ってみれば、世界と個人との取引なんですね。このあたり、久美沙織の『精霊ルビス伝説』を下敷きにしたファンタジーらしい設定があるのですが(知らなくとも大丈夫です。僕も未読でした)、世界も個人のどちらも「少しでも幸福になりたい」と願っている。だけど、お互い幸せの形が違う。だからこそ、その利益を異にする二つの存在が、お互いに満足できるように妥協点(中間点)を見出していく。そういうプロセスを経ることで、世界と断絶されてしまった「現代」の個人がもう一度「世界」へと繋がっていける、そういう可能性を見せつけます。
しかし、これだけでも素晴らしいのですが、この物語まだまだ先に進みます。何せさきほどのは二番目に強い絆、「損得勘定」のお話です。まだ一番強い絆が残っています。「愛情」です、「ラブ」です。そのあたりは、『狼と香辛料』でロレンス的な立ち回りをする青年商人もいいですが、やはり女騎士が素晴らしいです。彼女は魔王と勇者を取り合っている女の子なのですが、大魔王に「世界の半分をやる」と誘われます。そこでの彼女の返答が素晴らしい。あまりに、陳腐。そうあまりにありふれた言葉の数々で、彼女はそれを拒否します。
女騎士「世界の半分。だったな……。
答えるよ。確かに魅力的なお誘いだけど
半分じゃ、少なすぎる」
大主教「……少ない?」
女騎士「ああ、お断りってことさ」
大主教「貴様……」
キンッ! キンッ! ジャキンッ!! ザシュ!!
女騎士「判らないだろうなッ!
好きな人がいるって事が。
大事な人を思うと云うことがっ。
敬慕、忠節、至誠、そして誓約。
騎士の持つ全てがお前には理解できないだろうっ?
そして、何よりもこの胸に咲く思いがっ。
勇者といると暖かいんだ。
まるで春の芝生の昼寝みたいに。
雪の日の暖炉の前のうたた寝みたいに。
勇者と話すと楽しいんだ。
年越し祭りの朝目覚めた子供みたいに。
友達と駆け出す草原のようにっ。
勇者に微笑まれると嬉しいんだ。
この世界で何よりも大事なものに触れたみたいにッ」
大主教「なっ!?」
女騎士「わたしは“世界の全て”を持っているっ!!
勇者を思っているから。あいつに微笑んでもらったから。
あいつを思い出すだけで。
勇者の拗ねた子供みたいな笑顔を思い出すだけで
勇者の癖っ毛の黒髪を思い出すだけでっ。
この胸には風が吹くんだ。
魂の内側に“世界の全て”を感じるんだっ。
勇者を思うだけで、わたしは“世界の全て”を
簡単に手に入れられる。
騎士としたって、1人の女としてだって。
そんなわたしに、たった“半分”で褒美を語るなんて
お前みたいに貧しい大魔王は願い下げだっ!!」
世界のすべてを持っている自分には半分では安すぎると。このあたり、男の「ラヴ」ではありますが、森見登美彦の『四畳半神話体系』が参考になります(何気に近年のエンタメ作品にいろんな示唆が及んでます。アニメも面白い! 僕の感想はこちらからそうぞ)。

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ただ単純に他者を認める、ちょっと好きになる、そしたら他者の苦しみもわかろうとすることができる、ただそれだけでちゃんと世界に繋がっていけると強く生きていけるのだと、そう雄弁に語る女騎士がすさまじく恰好いいです。そう、この物語は、結局のところ世界と他人のことをちょっぴり好きになる、その素敵さを語るお話なのです。
改めて、リンクを貼らせてもらいます。
魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」まとめサイト
読了後、この辺りの記事を読まれると色々理解が深まると思います。
魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」 ママレードサンド(橙乃ままれ)著 その先の物語~次世代の物語類型のテンプレート (1) - 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために
それでは、お楽しみくださいませー。良い読書を。
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