「僕たちはわかり合うことで……、未来を築くんだ!」(沙慈・クロスロード)
第二十三話「命の華」ネタバレ感想です。アンドレイの存在意義がわからない(>_<)
◇
「戦いで勝ち取る未来なんて、本当の未来じゃないよ! 僕たちはわかり合うことで……、未来を築くんだ!!」(沙慈・クロスロード)
ファーストシーズンのやり直し物語としてのセカンドシーズン、ここに極まり! って感じの台詞ですね。
深い。これが四十八話分の深み。この「戦いで勝ち取る未来」っていうのが、
刹那たちが第一期で勝ち取った世界だったわけですよ。二十五話丸々かけて描いた世界。紛争を止めるために武力を行使した彼らが、たどり着いてしまった、世界のバッドエンド。破壊と再生の内の「破壊」パート。世界は変革され、憎しみは憎しみで返す連鎖を生んだ。
具体的には、一般人で戦争には無縁だったルイスが、両親をガンダムに殺された復讐心から銃を取る立場に回ってしまった。
それを第二期第一話で、ロックオンも刹那もこんな世界を望んでいたわけじゃないと否定し、そこから始まったセカンドシーズン。「戦い」ではなく「対話」に活路を見いだして、早二十三話。残すところあと二話で、まさに決着の時です。
ずっと自分はクジョウに騙されていたと、憎しみを断ち切れないビリー・カタギリと、過去の罪から今度こそみんなの「命」を守りたいスメラギ・李・ノリエガ。
もはや戦争あるのみ、アリー・アル・サーシェスと、そんな男に兄を殺されたライル・ディランディ。
世界を俯瞰し、人類を掌握し、「命」を投げ捨てるリボンズ・アルマークと、かつては「命」を何とも思わず俯瞰し、MS限定とはいえ掌握していたティエリア・アーデ。ここは、かなり第一期の「見上げる−見下ろす」に代表される「ミクロ−マクロ」な構図になっていて面白い。天上(リボンズ)のさらにその向こうにあるヴェーダに、ティエリアは届くのか。
そして、ド本命。
刹那たちが勝ち取ってしまった未来が生んだ、復讐の連鎖。両親の仇を討ち、復讐を完遂してしまったルイスを止められるのか。行き着くところまで行ってしまった感があるけれど、それを沙慈と刹那は「対話」で止められるのか。
一部を除いて、銃は手に持っているけれど、「対話」の余地が残されているのが、イイ。何組かは「対話」が成立せず、引き金を引いてしまうんだろうけれど。ライルとサーシェスの所とか、どうやっても「対話」が成り立たないだろうし。もし仮に成り立ったとしても、悪い方向(ライルがサーシェスに与する)しか考えられないからなぁ。
◇
ラストミッションとはいいつつも、上記の組み合わせで今ひとつ納得できないトコロもあるので、まだシャッフルされるんでしょうね。ライルの最後の壁は、やはり刹那になるのかな。もちろんテーマの「復讐心の超越」もあるんですが、最近の刹那にはニールの面影もあるので、同時に兄貴越えも見せてほしいところ。
今回の話題に微塵も絡んでこない、アレルヤくんですが……。前々から思っていたんですが、彼の主人格ってハレルヤの方なのかな。ダブルオー空間の中では、素の自分が出ているような気がするんで、割と鉄板予想だと思うんですが。
そう考えると、ソーマ(マリー)と同じく、役割の脱却から自己の統合(反射と思考の融合)が改めて描かれそうですが……、うーん。
◇
「大好きです……、カティ」(パトリック・コーラサワー)
こ、これは泣いていいシーンなんだろうか。
上記の沙慈の台詞が、四十八話分丸々かけて深みを出しているのに対して、コーラサワーはその同じ分だけかけて、絶対の安心感を出している。z絶体絶命の危機からも必ず帰ってくる、そう絶対の信頼。あと二話出てこなかったら、一人泣こうと思います。
→Blu-ray Disc
機動戦士ガンダム00 セカンドシーズン 2 [Blu-ray]機動戦士ガンダム00 セカンドシーズン 3 [Blu-ray]機動戦士ガンダム00 セカンドシーズン 4 [Blu-ray]
→DVD
機動戦士ガンダム00 セカンドシーズン 2 [DVD]機動戦士ガンダム00 セカンドシーズン 3 [DVD]
機動戦士ガンダム00 セカンドシーズン 4 [DVD]
→
前回第22話「未来のために」の感想へ/
次回第24話「BEYOND」の感想へ
→
『機動戦士ガンダム00【ダブルオー】セカンドシーズン』の感想インデックスへ
コメント
アンドレイの存在意義が分からない……。それを言うなら留美や紅龍やリジェネやマリナの存在意義はもっと分からない…!
00はキャラ描写がへたくそすぎです。
>尚志さん
いや、そのう……。
マリナさんの存在意義に関しては前回説明いたしましたし、その他三名については対比表現でしょうか。
大切な人(身内)の死などに「実感」を感じて変われる者が作中「是」となっている本作にとって、留美は変われなかった者として描かれてます。
また本作では自ら戦うこと(生きるための戦い)をする者を是として描かれていて、紅龍は妹に依存し生きるための戦いをしなかった(妹を庇ったのは、自分が生きることを考えてない)。これは何よりも、生命賛歌の本作において、生命の軽視に繋がってます。
リジョネについては、そのままティエリアのifでしょうか。ティエリアがもしロックオンや刹那たちに出会わずに、イオリア(ヴェーダ)を信奉し続けていれば、こうなっていたかもしれない、そういう部分を描いたのでは、と思います。
いずれもグッドを引き立てるための、バッド表現で、所謂対比表現と呼ばれるやつだと思います。アンドレイについては、その辺りが見あたらないので、よくわからないと言っているわけです。
>管理人さん
マリナの存在意義…?空気を読まずにゴロゴロソングを歌うことですかね?
>紅龍は妹に依存し生きるための戦いをしなかった
>これは何よりも、生命賛歌の本作において、生命の軽視に繋がってます
よく分かりません。他人のために命を投げ出す行為がなぜ生命軽視になるのか。また管理人さんの論理からすればマリナもまた生きるための戦いをせず、生命を軽視してますよね。
シーリン、クラウスに依存し、子供たちに危険が迫ってもなお自らは銃を取ろうともしない。これは何よりも、子供たち(とマリナ自身)の生命の軽視に繋がってます。
>リジェネについては、そのままティエリアのif
だとしたらもっとティエリアとの絡みを多くしておくべきだったと思いますけど。
因縁もたいしてないキャラを合わせて対比表現だと言われましてもねぇ。
ガンダム00の欠点は、キャラが多すぎる上にキャラ描写が薄っぺらい点にあると思います。
>尚志さん
あー、確かに登場人物が多い分それを描く密度には差があると感じますが、それにしても尚志さんと僕とは観点が違うんだろうな、という印象を受けました。全部が全部説明される必要もなく、自分なりに補完して、楽しんでいればイイと思っている人なので。
どうも僕にはあなたがほしがっているものを供給できそうにないですし、この辺りでコメント返信は打ち切らせていただきます。それでは。