
第二十二話「未来のために」の感想です。ファーストシーズンを色濃く彷彿する内容であった。見直したくなったよ(笑)。
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「生きるために戦え」(刹那・F・セイエイ)
戦うために生きるのではなく、生きるために戦う。ファーストシーズンでの「存在することは生きること」から、セカンドシーズンを通してたどり着いた極地。ただ在るだけではダメで、戦えと、世界と向き合えというメッセージ。
グラハム・エーカーという存在を切り捨てて、ただ戦うためだけにイノベイターの傀儡になりはてた男に対する、強烈なメッセージでもありますが、熱いな。スサノオの下からフラッグが出てくる所なんて鳥肌が立ったよ。フラッグの面影があるな、とか言ってたけど、そのままかよっ! と(笑)
ここ、ストレートに他者から与えられた役割(スサノオ、ミスター・ブシドー)が瓦解して、素の自分(フラッグ、グラハム)が現れるところでもありますね。
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「行こう、月の向こうへ」(刹那・F・セイエイ)
見上げる−見下ろす
実感−俯瞰
ミクロ−マクロ
地上−天上
という、相対する要素で描かれてきたダブルオーも、ついにそれを越える時がやってきました。前期のトランザムシステム初登場時も象徴的に月が描かれていたんですが、その月(天上の象徴と思われる)を越えて、その先へ。
天も地も越え、生きるためにその向こうを目指す(trans-am=トランザム)。実感だの俯瞰だのミクロだのマクロだの、そういうややこしい部分をすべてかなぐり捨てて、物語はやはり「生命賛歌」の方向へ向かうんだなぁ。
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「マリナさんに怒られるかな?」(フェルト・グレイス)
こ、この子、虎視眈々と刹那を狙ってたのか(笑)。可愛い。マリナ様大好きな僕も一瞬ふらっと来た。いや、確かに、前期第24話での会話とか好きだったけど。刹那も刹那で、さりげなくファーストネームで呼んでますよね>フェルト。
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コメント
もうヒロインはフェルトでいいですよ。
マリナのような無為無能無責任で、子供たちを守るために銃を取ろうともしないヒロインよりはマシです。
>尚志さん
はじめましてー。尚志さん。
第一期から戦うことを否定していたマリナさんが、あそこで銃を取ってしまったら、それこそ自分の発言(信念)に対して無責任だと思いますが。
>管理人さん
反政府組織で武装組織のCBに脱獄を助けてもらい、カタロンの庇護を受け、シーリンやクラウスら銃を持って戦う人たちに
守られてる時点で既にマリナの発言(信念)には責任の重さも説得力も一貫性もないと思いますけどね。
>尚志さん
うーん、そうですか。
元々いわれのない罪で投獄され、また戦わなければいけない人でもないマリナさんが守られている状態って、そんなに悪いことですかね。
刹那との邂逅の時から「対話」を重視し、また母国が滅ぼされてもなお武器を取らず(復讐をせず)、未来のある子供たちと一緒にいてあげる、そういう戦いもアリだと思いますけど。まあ、周りが皆戦争をしているから、武器を取れよってのはわかりますが。
そして、おそらくマリナさんの戦い(刹那のいう生きるための戦い)は、まだクライマックスのために残されているように感じますね。マリナさんに対する評価はそれからでも良いんじゃないですか。まーたり待ちましょ。
私もマリナ大好き派です。マリナは刹那にとって『帰るべき場所』と思っているので、彼女が武器を持つこと自体違和感があり今まで、ほとんど絡みが無かったフェルトがヒロインとして格上げに違和感…。
>けろさん
初めましてー。
そうですね、戦いを終えた刹那にとって、マリナさんが「帰る場所」(というか初めて交わした「約束の場所」?)というのは、僕も同意見ですよ。ですが、ただ彼女のもとで刹那が生きられるかどうかはまだまだわからないって感じでしょうか。
そういう意味では、戦いしか知らぬ刹那とソレスタルビーイングしか知らぬフェルトが、勝ち取った未来をぎこちないながらも一緒に生きてみる(戦わない生き方を探していく)、というのは、それはそれで良いような。というか、割としっくり来るような。どうしたって、刹那とマリナはカップルにはなり得ないでしょうしね。