「存在すること。それは生きること。亡くなった者たちの思いを背負い、世界と向き合う。神ではなく、俺が。俺の意志で」(刹那・F・セイエイ)

 第24話「終わりなき詩」の感想です。ロックオンという柱を失って、ようやく一つにまとまってきたトレミー組だったのに。・゚・(ノД`)・゚・。
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「色々あるから、みんなソレスタルビーイングに参加したんスよ」(リヒテンダール・ツエーリ)

 刹那の出した答えに呼応するかのように、トレミークルーが自身の意志でソレスタルビーイングに参加していたんだと総括する辺り、ホント筋が通っているよなぁ。でも、クリスだけがヴェーダにスカウトされて……という形になっているのは、ラストで自らの意志でフェルトを逃がしてやるシーンにカタルシスを持ってくるためですかね。なんか、最初の方のフェルトと姉妹みたいなことをやっているクリスさんが懐かしい。・゚・(ノД`)・゚・。



「私は完全体の“超兵”。出来損ないの被検体E57に負けるわけにはいかない」(ソーマ・ピーリス)

 ソーマについては、何度か感想で触れていますが、「超兵」という存在に束縛され、自分の意志を奪われているキャラクターなんだよなぁ。今回、トレミークルーがそれぞれの意志で戦っているということを強調されているので、余計にその部分が目立ってきましたね。でも、ソーマが自らの意志で何かを選択するのは、第二期に持ち越しかな。



「生きているのか死んでいるのか……」(リヒテンダール・ツエーリ)

 生きている、生きていたよ。・゚・(ノД`)・゚・。
 作中で「存在することは生きること」と明示されているが故に、断言できる。存在していたリヒティは生きていたと。だからこそ、リヒティの想いがクリスの中で生きていられなかったのが、たまらなく悲しいです。



「存在すること。それは生きること。亡くなった者たちの思いを背負い、世界と向き合う。神ではなく、俺が。俺の意志で」(刹那・F・セイエイ)

 ダブルオーの第一期を総括するような刹那の台詞ですが、思えば、これは第八話で刹那がマリナさんを批判したときから始まってたんですよね。あの回は、何もしていない(世界と向き合っていない)から、マリナさんを殺しても何も変わらないというお話で、暗に何かしろ(世界と向き合え)と示唆していたんでしょう。



「エクシア! 刹那・F・セイエイ、目標を駆逐する!」(刹那・F・セイエイ)

 神が舞台から退場したことによって、「天上−地上」の構図は瓦解したんですが、それを示すかのように、まっすぐ巨大モビルアーマーに挑むエクシアが印象的でした。この辺り、ガンダムスローネに、見上げるカットで突撃したのが、良い感じに効いているなぁ。

→DVD(今夏から、Blu-ray Discでのリリースが決まっているので、あまり急ぐ必要はないかも)

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