はまち、または俺ガイルの本領が発揮されていくのは、第四巻以降なのですが、今回のファーストエピソードは、全編にわたっての八幡と雪乃の立ち位置が見えてくる重要な挿話です。

 由比ヶ浜さんの手作りお菓子製作にあたって、雪乃さんは「魚の釣り方を教える」という喩えで、料理の腕をあげようとします。

 この「魚の釣り方を教える」という下りが超重要です。

 よく魚を獲ってあげる事よりも、魚の釣り方を教えたほうがその人が自立できるからいいんだ、と言われます。これ一見すると正しいのですが、本当にそうでしょうか? 今にも飢えて死にそうな人を前にして、魚の釣り方を教えて何になるでしょう? それよりも「早く魚をくれ!」と言われてしまいます。

 このように「魚の釣り方を教える」という本質的な解決を図れるのは、雪乃のように持てる者、余裕のある人なのです。今にも飢えて死にそうな人に、あまり効果がありません。

 そして、不幸なことに、青春の悩みというのは、その青春を生きる当人にとっては、今すぐ魚がもらえなければ飢えて死ぬほどのものなのです。

 傍目からみれば、あるいはだいぶ先になって振り返ってみれば、あの時俺は何を悩んでいたんだろう? もっとゆっくり解決していけばいいんじゃないかと思えるような些末なものですが、その瞬間の当事者にとってみれば、今すぐにでも解決しなければいけない大問題なのです。

 その中にあって、成長、変化を求める「魚の釣り方を教える」雪乃さんよりも、現状からなんの変化もさせず、そのまま「魚を獲ってあげる」八幡のやり方のほうが、効果があるわけです。料理の腕なんて、「頑張って作った」手作りお菓子で心をつかんでから、練習すればいい、となる。

 明確に、

 魚の釣り方を教える=雪ノ下雪乃
 魚を獲ってあげる=比企谷八幡


 という対比が見て取れます。最新刊の八巻に至るまで、「魚の釣り方を教える型」本質的解決を目指す雪乃さんは誰も救うことができず、「魚を獲ってあげる型」現状解決の八幡が、ひたすら悩みを解消していってます。解決ではなく、「解消」しているのがポイント。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 (ガガガ文庫)
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