翠星のガルガンティア第十一話までのネタバレ感想です。バンダイチャンネルだと最速放送のTOKYO MXと同じタイミングで見られるのがいいですね。

 第十話のチェインバーが結論づけた「人間らしい」結論が見事でしたが、今回もたった一話でレドとクーゲルの絶望的なまでに断絶した関係を描いていて、鬼がかっていた!


 ガルガンティアという物語は、

 世界の「違い」がわからず、居場所がなかったレド少尉が、違いを知り、故郷を得る

 までのお話というのが、ここまで来て分かって来ました。


 このあたりのテーマは、もう一つ記事を書くので、そちらに任せるとして、今回の第十一話のお話です。

 今回のチェインバーとストライカーの対比を理解する上で、重要なのは前回のレドとチェインバーのやりとり。

 Twitterでもつぶやいてましたが、



 あのレドとチェインバーのやり取りが、ガルガンティアという作品のハイライトになっています。

 ヒディアーズが人間から進化したことを知って、殺せない、人類と区別がつかなくなってしまったレドに対して、チェインバーが語ります。

 ヒディアーズはもはや人とは違う存在であり、マシンキャリバーとしての自分こそが、人類の進化の証、人の象徴なのだと。ヒディアーズとは違って、小さく弱い人間だからこそ、文明を発展させ、マシンキャリバーを作り出すことができた。

 これは、いわゆる「車というテクノロジーは、人間の足や走るという動作の拡張した存在」という考えですね。この辺りに詳しいのは、マーシャル・マクルーハンでしょうか。

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 そして、レドに対して、ヒディアーズとの戦いの意義を語るわけですが、それに対して、レドは機械のお前が俺に戦いを強いるのかというふうな発言をします。

 だけれど、チェインバーの導き出した結論は、物語冒頭と同じもので合っても、まったく別のものになっているんですね。ここまでのやり取りを冷静に見ていけば、

 機械であるはずのチェインバーが導き出した結論こそが、最も「人間らしい」というアンビバレントなものになっている。これは、痺れました。

 その一方で、クーゲル中佐とストライカーが何をやっているかというと、船団の中で信仰対象として君臨しているわけですね。

 この人、神様やっちゃってますよ。なにこの、相容れなさ。

 まさに、人間の進化の証、つまり、最も人間的らしいマシンキャリバーという存在の否定。クーゲル中佐自身も風土病に侵されて、事実上「死んでいる」というのも、対比として極まってます。

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