「ありがとう、さよなら」(サチ)

 アニメ『SAO』第三話「赤鼻のトナカイ」のネタバレ感想です。


 アニメ版SAOで、少し不満に感じていたのは、モンスター(とくに雑魚)をあっさり倒せるように見える、というところだったんですが、それが今回、翻って、プレイヤーすらもあっさり殺されると描写が変化したことが上手いと感じました。敵だけあっさり殺れるわけではなく、こちらも容易に殺されうる。ある意味平等な世界。

 原作小説第一巻において、キリトが引きずっているとだけ語られていたエピソード(第二巻で補完される)だけあって、それなりに悲劇的かつ劇的なお話でもあったのですが、それをこれほどまでに淡々と描くとは思わなかった。

 しかし、この淡泊さが、逆にこの世界の過酷さを、そして、それ故の救いを拾い上げていく。

 原作小説では、悲劇にふさわしい脚色がそれなりに為されているわけですが、アニメ版はいたってシンプル。ストーリー構成、画面における色彩や尺、その他諸々を見たとしても、単純明快。

 原作だと「ビーター」、レベルを偽りながら、「月夜の黒猫団」に参加するキリトの気まずさ、そして、「優越感」などが描かれているんですが、それらを一切廃し、ただ少女が死に、残された少年の物語。

 前回の、「ヒロイン」アスナとの出会いからして、劇的さが微塵もなかったわけですが(これも原作小説ではそれなりに劇的)、これはアニメ版で本当に徹底されているという印象を受ける。彼らの出会いや死というのは、これほどまでに淡々と通過していくほどに、この世界において「ありふれている」。

#事実、これ以後も、SAO世界において、キリトは可愛い女の子と出会いまくるのである(笑)。

 だけど、そんな「ありふれた」出会いによって、救われうるという描き。死というものがこれほどまでにありふれたものであるならば、その逆、生というのも、あるいはありふれたものかもしれない。

 生というのは、「実存」という言葉に置き換えてもいい。簡単に言えば、「俺、生きてる!」って感じられること。

#キリトはこの世界の方が「生きてる」気がする。だけど、サチはそうではなかったし、キリトのような生き方ができない人もいる。

 アスナが実存を感じたのは、もしかしたらそれはただパンを美味しく食べたときかもしれないし、サチのときは、根拠のない言葉だったかもしれない。そんな、ありふれたものに実存を感じうるという物語。

 そして、出会いというものもまたありふれているというなら、キリトにとってアスナという少女が特別になっていくのは何故か。多くの美少女に出会いながらも、何故アスナだけ「特別」なのか(当然アスナから見ても同じ疑問が出てくる)というところに、フォーカスしていくと、今後も非常に面白いと思います。

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