まず注意として。
今何かと世間を賑わせている「ステルスマーケティング」ですが、この記事ではそれの善悪について何かを言うことを目的としていません。というのも、今のところ、それについて決断したり行動しなきゃいけない状況には置かれていないので。気にしてちょくちょくといろんな記事を読んではいますが、態度としては保留している感じです。
詳細については各自調べてもらえば良いと思うんですが、あえて今回僕が記事にしたのは、この流れを見ている最中にちょっと気になることがあったから。
今回の騒動のきっかけになったのは、『化物語』や『魔法少女まどか☆マギカ』を製作していたシャフトの公式HP。ここにあるまとめブログとの関係性を示唆するような出来事があり、結果そのブログが絶賛していたそれらの作品はステルスマーケティングによるものだったのでは? と指摘されたのが、最初の方の流れだと認識しています。
ようは、作品が必要以上に、過剰に評価されたのではないか、という懸念が起こった。
そして、世間の盛り上がりに対して、そこまでその作品群に乗れなかった人が、「ステマだから」という理由に少なからず納得したというコメントがあったんですね。そういう書き込みを見かけて、それが悪いことであるとかやってはいけないことだとかという以上に、「もったいない」と感じたのが、この記事を書こうと思った理由です。
◇
一見もっともらしい、この理由を見出してしまったことによって、こうした納得をした人は、きっともうこれらの作品を心底面白く感じることはないんだろうな、という寂寥感。一人の物語を愉しむ人間としては、やっぱり、「もったいない」と思ってしまいます。
別に面白いとかつまらないとか、瞬間瞬間で判断していくのは、悪いことだとは思いませんし、むしろ自然なことでしょう。でも、それらの判断の根拠を、自分ではなく、まわりに求めてしまったら、その作品を面白がれる可能性を失ってしまうのではないか、と思います。
だから、せめて態度を保留することができたら、と。急いで、結論を出す必要などないのだと言いたい。そのとき、面白く感じるならそれで良い、つまらなく感じるのならそれも良い。だけど、その理由をそう簡単に掴んだ気にはならないでほしい。それは、きっとそこいらの道ばたに落ちてるものじゃない。
「世間ではものすごく盛り上がっていたけれど、自分はなんだか乗れなかったな。何故だろう? まわりの人が面白がれたのは何故か? 自分がつまらなく感じたのは何故だろうか」
そうした「問い」を頭の中に、宙ぶらりんのまま、放置できる「勇気」を。実際に、態度を「保留」することには勇気がいるし、労力もかかる。なぜなら、やはり人は白黒つけたい生き物だし、もし態度が翻ってしまったらそれまでの自分(時には、まわりの人も)を裏切ることになる。そして、いつも頭の片隅に置いているのだから、そりゃあもう邪魔だろう。バニーちゃん(僕の頭の中には、最近ずっとバーナビーと虎徹がいる(笑))。
でも、そうした「余地」をどこかに残しておく。
それができたなら、きっとそれを埋めてくれる「出会い」があるから。それは人との出会いかもしれないし、本との出会いかもしれない。あるいは風景との出会いかもしれないし、音との出会いかもしれない。僕の場合は、そのときは、「人」だった。
僕は昔『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』がつまらなくてつまらなくて仕方がなかった。いろんな掲示板を巡って、そのつまらなさ加減を確信しつつあった頃(当然ながら否定的な感想ばかり抽出していた)、一人の人の感想に出会った。その感想を読んで、文字通り世界がひっくり返った。最高につまらなく思えた作品が、最高に面白く感じられた(だから、今の自分にとっては、初ガンダムであるSEED以上に、DESTINYの方が重要だし、好きだ)。本当に、素晴らしい「書き手」(クリエイター、創作者、なんでもいい)というのは、きっと人を極から極へと移動させられる、世界をひっくり返すことができる人間だと思う。
こういう「出会い」は、きっと誰もが大なり小なり経験していることだと思うし、実際に起こる程度の、日常にありふれたものだ。だけど、どこかに何かが、誰かが入り込む余地がなければ、きっと叶わない。
だから、少しでもいいから、態度を保留できる勇気を。
判断を放り投げる勇気を(もちろん、それが必要なときは、放り投げてはダメですよ(笑))。
良いじゃないか、別に。まさか自分の判断力や受容力が完成されていると、心の底から信じられるわけでもない(いや、まったくもう少し何とかならないものかと感じない日はない)。何かの拍子にかちっとハマるかもしれないし、逆に今まで最高に面白く感じられた作品が最高につまらなく感じる出会いがあるかもしれない。最高の作品が、陳腐に感じられる作品と出会えるかもしれない。
そうした「変化」がある方が楽しくないですか?
そんなわけで、僕はいまだに『魔法少女まどか☆マギカ』を心底面白がれる日を諦めていないし、今はいかに『ガンダムAGE』を愉しむのかを問うていたりします。ただ、ちょっと後者に関しては、匙を投げか、ごほっ、ごほっ、えっと、誰かAGEを面白く見られる地平をお持ちの方は、ご連絡ください。心よりお待ちしております。切実に。
コメント
はじめまして。私はこちらのブログをSTRDRIVER放送中に見つけたのですが、そのレビューは大きな収穫をもたらすものでした。当時、スタドラに得体のしれない面白さを感じながらも、言葉にできない部分が多く――面白くない、という意見があげる部分の方が理解出来る程度に――あったのですが、こちらの「秘密」「三人組」等の解釈が天啓でした。おかげで後半がとても楽しめました。神話前夜あたりはもう、歓喜しっぱなしです。
今回、槍玉に挙げられたシャフト作品は苦手な部類ですが、ともあれステルスマーケティングという単語によって「自分にとって受け入れがたい理由」を自分で言葉へ変える機会すらなくなるのは寂しいことかもしれない……今回の記事、そのように思いながら拝見しました。一読者として、新しい鑑賞の視点を楽しみにしております。
はじめまして、何度かTBでお世話になった「うつけ者アイムソーリー」というブログのぽんずと言います。
私も↑の方と同じくスタドラ感想の時からこちらのブログを拝見させてもらっていました。そして実は、まおゆうという最高の作品とめぐり合うことができたのも、このブログの記事を読んだからなのです。この場を借りて、お礼を言わせていただきます。ありがとうございました。
ステマという言葉、本来の意味を離れて独り歩きしてますね。一時期「オワコン」という言葉が流行ったように、ネット界隈ではどうもアニメを叩くための言葉が常に存在するようです。「ステマ」も完全にそれに利用されてますね。何か叩く作品を見つけて、悦に浸る優越感ゲームが行われていて、それを主導してたのが某まとめブログ、という構図があるようです。どこまで本当か分かりませんが。
そんなゲームを楽しんでいる人たちの意見に流されて、作品の評価を決め付けてしまう人たちがいるのではないか、というのがかもめさんの問題提起ですね。結局は個人の勝手なんでしょうけど、自分の好きな作品が簡単に見放されてしまうのを見るのはやはり悲しいものがあります。そう考えると、恣意的に編集された多くの人の感想を一度に見られるまとめブログはやはり影響力の高い存在に思えます。個人のリテラシーは如何ともしがたいですから難しいですね。
一つの作品に対する評価がひっくり返る経験というのは、私もつい最近アニメのアイマスで味わいました。ああいうことがあるから、1〜3話の視聴でアニメを切るのは自分で考えるよりもリスクを伴うんですね。貴重な「出会い」を無にしてしまいかねませんから。
真摯さを感じた記事だったので思わず書き込んでしまいました。初コメで長文失礼しました。
>kaitetsuさん
>はじめまして。私はこちらのブログをSTRDRIVER放送中に見つけたのですが、そのレビューは大きな収穫をもたらすものでした。
初めまして。感想を読んでくれて、どうもありがとうございます。当時は個人的にはあまりパッとしないのかな(なにぶんあまり反応がなかったので(笑)。気持ちよく書けてはいたのですが)、と思っていたスタドラの記事なんですが、ちょくちょくこうした意見をいただけるあたり、本当にありがたいです。放送中ではなく、終了してしばらく経ってから反応があるというのは、実はあまり経験がないのですが、嬉しいものです。
>当時、スタドラに得体のしれない面白さを感じながらも、言葉にできない部分が多く――面白くない、という意見があげる部分の方が理解出来る程度に――あったのですが、こちらの「秘密」「三人組」等の解釈が天啓でした。おかげで後半がとても楽しめました。神話前夜あたりはもう、歓喜しっぱなしです。
いやぁ、本当に。なんだかよくわからないながらも、凄まじい勢いを感じる作品でしたね。そうした面白さを維持できるのも、kaitetsuさんが挙げておられた「秘密」や「三人組」という軸があったからだと思います。
神話前夜、よかったですよねー。ぼくは19話(20話だったかな?)の過去回想から、ボルテージが上がりまくっておりました。そして、それまで積み重ねてきた物語の意味を明かして明かし抜いた果ての、タクトの選択。それまでの物語を思えば、彼がそれ以外を選ぶわけないだろうということはわかっていながらも、彼が高らかに空に舞っていくシーンに、グッと来ずにはいられませんでした。またじっくりと視聴したいタイトルです。
続きます。
続きです。
>今回、槍玉に挙げられたシャフト作品は苦手な部類ですが、ともあれステルスマーケティングという単語によって「自分にとって受け入れがたい理由」を自分で言葉へ変える機会すらなくなるのは寂しいことかもしれない……今回の記事、そのように思いながら拝見しました。一読者として、新しい鑑賞の視点を楽しみにしております。
好き嫌いがはっきりする作品群ではありますもんね。そこは、自分の気持ちに正直に受け入れたら良いと思います(ぼくも魔法少女まどか☆マギカは、いまのところ、そこまで好きになれません)。ムリする必要なんてどこにもない。だけど、どこかに「変われる」余地を残せたら、もっと面白く感じられる瞬間があるかもしれない。ぼくはそうした瞬間に期待したいですし、そのきっかけになれることがあったら、良いな、と思ってます。これからもよろしくお願いいたします。
>ぽんずさん
>はじめまして、何度かTBでお世話になった「うつけ者アイムソーリー」というブログのぽんずと言います。
どうも初めまして。いつもTBありがとうございます。サブカル・カムカムの管理人かもめと申します。
>私も↑の方と同じくスタドラ感想の時からこちらのブログを拝見させてもらっていました。そして実は、まおゆうという最高の作品とめぐり合うことができたのも、このブログの記事を読んだからなのです。この場を借りて、お礼を言わせていただきます。ありがとうございました。
おおっ、なんと。スタドラの感想、実は人気がありますね(笑)。当時はれおぽんさんという方と、タイマンで感想をやり取りするしかなかったので、こうしていろんな人から反応をいただけるとは思ってもみなかったです。
まおゆうをお読みですか。あの稀代の作品を読むきっかけになれたこと、嬉しく思います。あの物語が面白い理由はきっといくつもあると思いますが、登場人物の誰もが世界に対して「真摯」であるというのが、いまの自分には外せないポイントかと思います。
続きです。
続きです。
>ステマという言葉、本来の意味を離れて独り歩きしてますね。一時期「オワコン」という言葉が流行ったように、ネット界隈ではどうもアニメを叩くための言葉が常に存在するようです。「ステマ」も完全にそれに利用されてますね。何か叩く作品を見つけて、悦に浸る優越感ゲームが行われていて、それを主導してたのが某まとめブログ、という構図があるようです。どこまで本当か分かりませんが。
そうですね、ぼくもそれがどこまで本当かはわかりません。その問題は、まとめブログ特有のものというよりは、メディアというものが少なからず持っている根源的なものではないかと思います。情報を編集している以上、例えばぼくのブログであっても、どこか偏った箇所がある。その「偏り」が見えているのなら、問題はそこまで大きくならない。
そして、ネットというのは本来的に負の側面を強調するものなので、こうした状況はどうやってもあるという前提で、どうにかして付き合っていくほかないのかな、と思っていたりもします。
さらに続きます。
続きです。
>そんなゲームを楽しんでいる人たちの意見に流されて、作品の評価を決め付けてしまう人たちがいるのではないか、というのがかもめさんの問題提起ですね。
そういう指摘をしたい気持ちもなくはないのですが、実はこの文章を書いている最中に思っていたのは、それさえ避けたら大丈夫だと思うのは危険なんじゃないかというものでした。その点は、言葉足らずでやはり上手く伝えられなかったのだと思います。力不足で申し訳ないです。
補足として言いますと、ぼくがいちばん危惧しているのは、思考が硬直化することなんです。その状況を呼びやすいという意味で、人の評価に流されすぎることを問題視する気持ちはあるんですが、例えば、一時期流されたとしても、あとで冷静になったときに、落ち着いて考えられるのなら(先の態度を翻せる余地があるなら)、それでも良いのかな、と考えています。
そして、もし仮にまとめブログが、特定の意見の極に人を寄せて、その意見から動けなくさせているのであれば、そこにはじめてぼくは「悪性」を見ます(ぼくの考える「悪」については、ちょっとまえにTwitterでつぶやいてるので、興味があればどうぞ)。まとめブログにもですが、そこから動かない人にも。そうした極で留まり続けないために、態度を絶対視するのではなく、保留していこう、というのが、メインのメッセージのつもりでした。わかりにくくて、ホントに申し訳ないです(汗)。
次でラストです。
最後ではありませんでした。
>結局は個人の勝手なんでしょうけど、自分の好きな作品が簡単に見放されてしまうのを見るのはやはり悲しいものがあります。そう考えると、恣意的に編集された多くの人の感想を一度に見られるまとめブログはやはり影響力の高い存在に思えます。個人のリテラシーは如何ともしがたいですから難しいですね。
難しい問題ですね。ただあくまでも、ぼくは個人としてできることをやっていくしかないと感じています。昔から個人でできるレベルで、何かをやると決めていたので、そこまで何か行動が変わると言うことはありませんが。
一つに、これまで以上に素朴に感想を書き続けることですし、他には、例えばSEOをちゃんとブログに施すといいかもしれないと考えています。
いま検索エンジン経由で感想を検索すると、ほぼトップページはまとめブログが出てきます。ここに個人のブログがいくつも上位を占めるようになれば、作品に対する感想も一様ではなくなっていくでしょう。いや、まあ、ぼくのブログもいまは検索エンジン上位から弾かれているので(笑)、そこまでえらそうなこと言えないんですが。
なんとさらに続いてしまいました。
正真正銘のラストです。
>一つの作品に対する評価がひっくり返る経験というのは、私もつい最近アニメのアイマスで味わいました。ああいうことがあるから、1〜3話の視聴でアニメを切るのは自分で考えるよりもリスクを伴うんですね。貴重な「出会い」を無にしてしまいかねませんから。
アニマス、めちゃくちゃ面白いらしいですねー。バンダイチャンネルの月額会員で、全話視聴できるので、なんとか配信されているうちにみたいと思います。
ポパーという科学哲学者が、正しさを証明された科学理論でさえも暫定的に正しい「仮説」でしかない(つまり、それを覆しうる仮説はいつでも生まれうる)という風なことを言っています。完璧だと思われがちな科学でさえもそうなんだから、作品だけに限らず、世にあるものみんながそうした不確かを持っているのだと思います。だからこそ、価値観がひっくり返るような出会いがある。そうした出会いって、最高にエクスタシー(笑)だと思うんですよね。
>真摯さを感じた記事だったので思わず書き込んでしまいました。初コメで長文失礼しました。
コメントありがとうございます。真摯に反応してくださった文章だったので、自分が伝えようとして、誤って伝わってしまったかな、という点は、変に迎合せず、補足させていただきました。もしかしたら、ぽんずさんが「真摯さ」を感じた文章とは違った視点を提供してしまったかもしれません。その場合は、申し訳ありません。
うあー、タイトルにも文中にも強調して「保留」というキーワードが書かれているのに全然触れてませんね。
ステマの部分はむしろきっかけに過ぎないのに、反感からか良く理解もしないで的外れなことを語ってしまいました。これも一種の思考停止ですね、お恥ずかしい。
態度の保留、という意味をなんとなくは理解できた…ような気がします。ようは、正と負、どっちの針にも触れることのできる余裕を常に持て、ということですよね? 間違ってたら指摘してください。
作品を評価するという事については、最終的な結論を下す必要はないと、そういう意味ですか?(ここはちょっと自信ないです)
私なんかは負から正に移動できる分には作品を楽しむ上でそれにこしたことはないと考えますが、その逆のパターンもまた良しとするのは正直ちょっと理解できない所があります(笑) そういう出会い、あったかなー?
今夜BSでアニマス最終回を見て、明日感想を書くつもりなのですがちょっとこの記事にインスピレーションを受けて書きたいことができたので、宣伝効果は微塵も期待できませんがリンクを貼らせていただくことになるかもしれません。もちろん、よろしければですが。
マヌケな勘違いにもスルーせずに真摯に指摘していただき、ありがとうございました。
>ぽんずさん
こんなに、すぐ返信をいただけるとは思いませんでした。再度コメントありがとうございます。
>うあー、タイトルにも文中にも強調して「保留」というキーワードが書かれているのに全然触れてませんね。
言葉に対して、ニュートラルな立ち位置をとって、この人が本当はどういう意味で使っているのか、どの言葉が本当に大切なのか、を判断するのって、難しいですよね(実は書き手側でも、あまり意識していない人もいますし、ぼくもつい手を抜くときがあります(笑))。ぼくもいま訓練している最中です。
日常の会話でもそうですが、どこに重点が置かれているのかによって、言葉の重きが違うはずなのに、何かふつうに会話が成立してしまう。でも、ズレがあるのは、確かなので、いつの間にか相手とのやり取りが上手くできなくなってしまう。そうしたことがなるべく起こらなければ、いいなと思っているので、少しでも細かく言葉をみられたら、と。まあ、原則人の言葉がちゃんと相手に伝わることはないですが(ミもフタもないこと言っちゃったー!)
>ステマの部分はむしろきっかけに過ぎないのに、反感からか良く理解もしないで的外れなことを語ってしまいました。これも一種の思考停止ですね、お恥ずかしい。
実際、ぽんずさんの意見は、悪意があるコメントではないし、どちらかというと正の方に向いていると思います。でも、だからこそ、一見もっともらしく正しいと思えることが、いちばん人の思考を止めてしまう可能性があるんですね。
森博嗣というミステリー作家が、人を騙すのは簡単で、それは一度答えを出してあげればいい(それ以上の思考を止めるから)ということを言っていたことがあるんですが、そのとき、ハッといたしました。答えを出すというのは、ある種の思考停止なのだと。
続きです。
続きです。
>態度の保留、という意味をなんとなくは理解できた…ような気がします。ようは、正と負、どっちの針にも触れることのできる余裕を常に持て、ということですよね? 間違ってたら指摘してください。
そうです、そうです。振り子をイメージするとわかりやすいかもしれません。どちらか一方に振り切った状態のまま、ずっと置いていたら、壊れてしまう。それと同じようなイメージです。
>作品を評価するという事については、最終的な結論を下す必要はないと、そういう意味ですか?(ここはちょっと自信ないです)
いま、この段階で、私はこう思っている、こう評価するのは大切なことだと思います(それは、今の自分がこういう人間だ、という自覚、また表明でもあるから)。何かを言おうとしたら、そうしないと、相手にははっきり伝わらないですし(今回ぼくが書いた文章のようにすると、伝わる難易度が段違いに高くなる)。だけど、それがいつまでも絶対であるわけがないので、そこまで拘らない方が良いんじゃないか、という感じです。
自分の洞察力や感受性が完成されているという気持ちがとくになければ(基本的に、そんな自信満々な人、あまりいないと思います(笑))、変に肩肘張らず、自然な感じに接すれば良い、と思ってます。自分が本当に素晴らしいと思っている作品でも、あとから触れてみたら、そんな素晴らしさでは足りなかったと思うこともしばしばなので、最終的な結論を出すのはもったいないです(笑)。一度人生を変えてくれた作品なら、きっとこれからも幾度となく変えてくれますよ。
続きます。
らすとわん。
>私なんかは負から正に移動できる分には作品を楽しむ上でそれにこしたことはないと考えますが、その逆のパターンもまた良しとするのは正直ちょっと理解できない所があります(笑) そういう出会い、あったかなー?
イメージとしては、今まで凄く好きな作品があったんだけど、それを遙かに凌駕する作品に出会ってしまったとき、前者は色褪せてしまうかもしれない。そのときにはもう最初に感動したほどの衝撃を受けられないにも関わらず、いつまでも執着しなくても良いんじゃないかと。その作品から「卒業」する日が来たという感じでしょうか。まおゆう的に言えば、いつか卒業するための出会いもある、みたいな(笑)。
ぼくも正から負へ思いっきり振れたという作品やものはないんですが、もしそれが体験できたら、自分に一体何が起こったのか興味津々だと思います。起きないかなー、とは思いつつ、生きてます。
>今夜BSでアニマス最終回を見て、明日感想を書くつもりなのですがちょっとこの記事にインスピレーションを受けて書きたいことができたので、宣伝効果は微塵も期待できませんがリンクを貼らせていただくことになるかもしれません。もちろん、よろしければですが。
かまいませんよ。どんどん貼っちゃってください。リンクフリーなので、どの記事から持って行っても大丈夫です。
>マヌケな勘違いにもスルーせずに真摯に指摘していただき、ありがとうございました。
こちらこそ、ガチンコでぶつかってきてくれて、ありがとうございます。誤解を恐れずに、相手と言葉を交わすことがこれから大切になっていくと思っているので、今回はとても嬉しかったです。
お久しぶりです、かもめさん。
諸事情ありましてPC放置状態だったのですが、素晴らしい物量の物量のコメントですね(むしろレポートと呼ぶべきかと・汗)
話題のステマについては、語るべき言葉を持っておりませんので、発言控えておきます。
話題の『まどか☆マギカ』、実はシャフトの猟奇的な演出・表現が苦手で全話視聴出来ていないのですが、概要を調べただけでも完成度の高い作品だと感じています。
どうしても手放しに絶賛される作品は、同レベルの風当りに晒されるものですが、そういう中にあってかもめさんを始め、中立で公正なレビューを心がけておられるブロガーさんの記事は読み応えのあるものが多く、とても好感が持てるのです。
なにしろ、私自身はヘソ曲がりな性質なものですから(苦笑)、自分の命と引き換えに好きな女の子を救う、だの、運命のやり直しという共通の
テーマ性を持った作品ならば、むしろ『廻るピングドラム』のほうを個人的に評価しているくらいなのです。
懐かしくも『スタドラ』の話題が出ているついでに(笑)、好きな女の子のために命を捨てようとしたスガタを「ちょっと待たんかい!」とばかりにタクトが制し、誰一人脱落者を出さずに運命から解放することに成功したという点で、ある種特異な作品でしたね。
面白いというより何より、お祭りのように楽しい作品でした。
『スタドラ』『まどマギ』『ピンドラ(笑)』と、まるで示し合わせて競作したように同じテーマ性を持った作品が、丁度バトン渡し状態で放送されたことが、実はとても興味深かったのです。
この三作品、比較してみるのも面白いかもしれませんね。
『AGE』については…私もかもめさんに教えて頂きたいくらいなのですが、レビュー書いておられないのですね(苦笑
かなり脱線してしまいましたのでこの辺で。
そして遅すぎる新年の挨拶と、今年から社会人となられるということで、おめでとうございます。
>れおぽんさん
>お久しぶりです、かもめさん。
>諸事情ありましてPC放置状態だったのですが、素晴らしい物量の物量のコメントですね(むしろレポートと呼ぶべきかと・汗)
どうも、お久しぶりですー。珍しく反応の良い記事になってます。三人にコメントをいただいただけですが(笑)
>話題のステマについては、語るべき言葉を持っておりませんので、発言控えておきます。
僕自身、実際のところはステマについて語っているわけではなく、ましてアニメについて限定して語っているわけでもないのですが、どこまでそれが伝わっているのか不安ではありますね。
>話題の『まどか☆マギカ』、実はシャフトの猟奇的な演出・表現が苦手で全話視聴出来ていないのですが、概要を調べただけでも完成度の高い作品だと感じています。
好みを度外視すれば、間違いなく完成度が高い作品だと思います。2000年代の総決算というぐらい、それまでの物語エッセンスを十全に組み込んだ作品だと感じています。
>どうしても手放しに絶賛される作品は、同レベルの風当りに晒されるものですが、そういう中にあってかもめさんを始め、中立で公正なレビューを心がけておられるブロガーさんの記事は読み応えのあるものが多く、とても好感が持てるのです。
どうしても、そういう態度を取ると、反応が鈍ってしまうものではあるんですけどね(笑)。それこそれおぽんさんのような、じっくりと読んで、考える人にしか伝わらない、伝わりにくいという側面はあるだろうと思っております。それでも、こういう文章しか書くことができないですし、世界をよりフラットに捉えたい(フィルターを完全には除外できないにしても、なるべく現実に即して捉えたい)という渇望から逃れることはできず、いつも難儀しております。
続きます
続きます
>懐かしくも『スタドラ』の話題が出ているついでに(笑)、好きな女の子のために命を捨てようとしたスガタを「ちょっと待たんかい!」とばかりにタクトが制し、誰一人脱落者を出さずに運命から解放することに成功したという点で、ある種特異な作品でしたね。
>面白いというより何より、お祭りのように楽しい作品でした。
楽しい作品でしたよね。でも、あれはちゃんと、本当にそこまでの25話をかけて、タクトがその選択以外を選ばないということが、これでもかこれでもかと描かれていたので、素晴らしかったです。最高のご都合主義なんですけれど、そのために考え抜かれて作られているのが、視聴者として嬉しいと思います。
>『スタドラ』『まどマギ』『ピンドラ(笑)』と、まるで示し合わせて競作したように同じテーマ性を持った作品が、丁度バトン渡し状態で放送されたことが、実はとても興味深かったのです。
>この三作品、比較してみるのも面白いかもしれませんね。
ポピュラーなテーマではあるんでしょうね。この三つの作品を並べて、どれが好きですか? と問うのは、なるほどコミュニケーションの第一歩にはちょうど良いかもしれません。
個人的には、それにプラスして『境界線上のホライゾン』を入れたいかも、と思ったり(笑)。
さらに続く。
らすとわん
>『AGE』については…私もかもめさんに教えて頂きたいくらいなのですが、レビュー書いておられないのですね(苦笑
これは実は展開が面白くないという以前に、ビジュアル面が好みではないという気持ちが強かったりもします(実際、自分にとっていちばんフィルターがかかっているのは、キャラクターデザインのような気がします)。可愛い女の子もあまりいないから!(笑)
>かなり脱線してしまいましたのでこの辺で。
>そして遅すぎる新年の挨拶と、今年から社会人となられるということで、おめでとうございます。
おめでとうございます。これからもよろしくお願いいたします。
ありがとうございます。一人暮らししなきゃいけないので、いまは家探し+就職に必要な教習で、忙しかったり。