米澤穂信さんの古典部シリーズ第五弾『ふたりの距離の概算』のネタバレ感想です。TVアニメ化が決定したと言うことで、本読みブログの方から引っ張ってきました。
「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことなら手短に」をモットーに、すべてにおいて<省エネ>を目指す折木奉太郎は高校二年生へと進級した。彼が所属する古典部に、新入生・大日向友子が仮入部する。このまま入部するものだと思っていたのだが、ある日突然、入部しないと告げるのだった。どうやら部員の千反田との会話が原因のようだが、奉太郎は納得できなかった。千反田は他人を傷つけるような性格ではない――。奉太郎は、入部締め切り日に開催されたマラソン大会を走りながら、大日向の心変わりの真相を推理することに!

 仮入部した大日向が突如「入部しない」といった動機を巡る本作。えっそんなところまでも伏線?と思わずつぶやいてしまうほど、到る所に伏線が張り巡らされ、非常に技巧的な作品ではありますが、米澤さんの作品の中ではちょっと弱いかもしれないというのが初見の印象。ただそれは本作を単発のミステリーで見た時。シリーズものとして、当然ながら古典部の一連の「物語」として見た時、本作はおそらく凄まじい傑作であるのではないかと思います。というか、これ自体がすごいんじゃなくて、これに仕掛けられた爆弾がすごい。穂信先生、あれだけ前半に二人をイチャイチャ描いておいて、終章でのこの落差! やっぱり黒すぎるッスよ(笑)。

 実は、折木奉太郎の、

「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことなら手短に」

 という言葉には、一つ決定的な視点が抜けていて、それは自分が「やれない」ことに対して、どういう対応を取るのかというもの。というか、基本的に彼は自分ができないことを「安請け合い」する人間ではない。本シリーズをつぶさに読んでいくと、それがよくわかります。彼は自分のできないことを決してやらない。このモットー自体がそもそも、自分が「できる」ことに対して、

「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことなら手短に」

 と、なるべく省エネルギー的に解決できるよう取捨選択するために、そういう必要性の元に生まれたです。ですが、今回ようやく折木奉太郎は、やれないこと、今の自分には為し得ないことにぶち当たりました。当初の目的通り、千反田と大日向の誤解は無事解けたのですが、千反田さんから頼まれ、(珍しく)ホータローが安請け合いした「大日向さんを助けてあげてください」という約束は守れなかった。ぶち当たったというか、疑問を持ったというか。できないことに対して、

「僕たちは所詮、学校の外には手が伸びないんだ。ホータロー、最初から、どうしようもなかったんだよ」(福部里志)

 と、里志のように諦めて良いものだろうかと踏ん切りが付けられない状態になったわけです。

 だが、本当にそうなのだろうか。何事もなく順調に学校生活を送るなら、俺たちは二年後には上山高校を後にする。進学したとして、これも順調なら六年後には学校という場所からはでることになる。もしそれまで学校の外には手が伸びないと思い続けていたら、いきなり荒野に放り出されて途方に暮れてしまうだろう。
 多分違うのだ。千反田がさまざまな社交をこなすように、姉貴が世界中を旅するように、手はどこまでも伸びるはず。問題はそうしようと思う意志があるかどうか。


 千反田さんや姉貴のように、俺にも何かできるのではないかと。あの省エネ少年だったぐうたらなホータローがよくぞここまで……と思わず涙すらも出てしまいそうですが、そんな読者の涙をあざ笑うかのように作者は残酷です(そこが素敵なところでもあるんですが)。

 大日向が「友達」との距離を測り間違えたように、折木奉太郎もまた千反田えるとの距離を測り間違えています。いえ、「千反田える」という人間のことを勘違いしているので、もしかしたら大日向さんよりも彼の方が困った状況かもしれません。

 千反田さんは前巻『遠まわりする雛』でこんなことを言っています。

「見てください、折木さん。ここがわたしの場所です。どうです。水と土しかありません。人々もだんだん、老い疲れてきています。山々は整然と植林されていますが、商品価値としてはどうでしょう? わたしはここを、最高に美しいとは思いません。可能性に満ちているとも、思っていません。でも……」

(中略)

「折木さんに、紹介したかったんです」


 その意味するところは、自分が持っているものは、自分がこれから見ていく風景はここだけだということ。それを他ならぬホータローに紹介したかった。彼からから見て、確かに神山を駆け回る「今」の千反田さんは自分の知らない世界の住人かもしれない。だけど、彼女の世界はもうこれ以上広がらないのだ。千反田えるは大空を羽ばたく鳥ではなく、小さな籠に収まる自分一人では外にも出られない「雛」なのだ。いずれ、順調にいけば六年後以降にホータローが見ることになる「荒野」を彼女は見ることができない。

 彼女はホータローと違って、自分ができないことに対してものすごく自覚的だ。だからこそ、見せたんだと思う、自分のすべてを。
 それが理由で、今巻ではホータローに急接近しているのだと思う。なにせもう隠すところがないのだから。

 こう考えると、千反田さんがホータローに惹かれている理由の一つは読めてくる。同じく『遠まわりする雛』で彼女はこんなことを言っている。

「あの部屋で、折木さんはきっと、何かわかっているんだろうなと思っていたんです。でも、訊くわけにはいかなくて。そう思うと、折木さんが帷の向こうで下を出しているような気さえしたんです」

 と。彼女にとって、ホータローはいつだって自分の限界をぶち破ってしまうわけです。「私、気になります」という言葉に(それは彼女が限界を感じた時に発する言葉)、応えてくれる。それが彼女に、いつだって自分の「限界」が見えている少女にとって、どれほど大切で、「救い」となっていることか!

 これ以降本作で語られるように、急接近した二人が見られる。新歓祭での一幕、折木家に行ったことがあるのを隠す千反田さんとホータローの姿など微笑ましい。後者など特にこれまでの二人なら考えられなかったことだと思う。お互いが意識しているからこその「秘め事」。あーもうどんだけイチャイチャしているんだ、さっさと付き合え!と言わんばかりだ。だが、だからこそ、二人の間にある決定的な距離が切ない。

 今回「あいつが誰かを傷つけるなんて――俺は信じない」と、ホータローが「思った」千反田さんは、正しかった。だけど、今からでも感じてしまう。姉貴と千反田を同列に置いた「俺」の感覚は誤っていると。

 ただ「根拠」がないということは間違っていないと思う。「探偵」にとって「根拠」というのは何よりも大切だ。その寄る辺がなければ、彼らの「推理」もままならない。このシリーズで「探偵役」を務める彼がそれにこだわってしまうのもわかる。今回も結局彼の思ったことは正しかったが(彼自身もあとに述べているように、「探偵役」としてはそう考えること自体が異常事態なのだけど)、それを千反田さんに確認するまで信じなかった。だけど、彼自身の「物語」を解決するには、それを捨て去らなければならない。無根拠に、信じるほかない。

「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことなら手短に」

 というモットーには「やれる」という(ホータローにとっての)根拠が潜んでいる。その根拠を捨て、今回千反田さんのお願いを「安請け合い」したように、根拠など持たず手を伸ばすほかないのだ。

 そもそものところ恋愛なんて安請け合いの応酬のようなもの。「おまえを愛してる」とか「必ず幸せにする」とか、根拠がないにもほどがある云々。

ふたりの距離の概算

→文庫版

ふたりの距離の概算 (角川文庫)
ふたりの距離の概算 (角川文庫)


→本作を読了後、改めて読むと色々腑に落ちると思います。今から発売が楽しみ。

遠まわりする雛
遠まわりする雛