「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことは手短に、だ」(折木奉太郎)

 米澤穂信さんの古典部シリーズ『氷菓』のネタバレ感想です。京アニ制作でTVアニメシリーズが決定ということで、本読みブログの方から引っ張ってきた。

「省エネ」を信条とする折木奉太郎に強烈なシンパシーを感じるせいか、米澤穂信さんの著作の中ではこの「古典部」シリーズがスキ(ベストは『愚者のエンドロール』)。

 古典部シリーズというのは端的に言うと、折木奉太郎が、「好奇心の権化」である千反田えるに、振り回される高校生活を描いたもの。「省エネ」を信条とする奉太郎ですが、千反田に流されるままに、日常の謎とやらを解決する羽目になります。
 ああっ、彼の目指す生活は何処に!

 米澤穂信さんの作品の魅力の一つに、台詞回し(決め台詞?)があると思うんですが、それがもっとも光っているのがこのシリーズだと思います。
 上述した奉太郎の言葉や、千反田えるの「わたし、気になります」、福部里志の「データベースは結論を出せないんだ」なんかが、その例ですが、ここまでいくとキャラクターを体現していると言っても良いぐらいです。
 そういう台詞回しが良い。『さよなら妖精』の「哲学的意味がありますか?」とかも素敵。
◇ 

 折木奉太郎は探偵役だけど、決して名探偵役ではないというのが面白い。

 本作で、折木奉太郎は、関谷純の真相を推理します。
 その推理は、何が起こったのかという「歴史的な事実」としては正鵠を射ていますが、関谷純が何を考えていたのかという「メンタルな事実」としては、正反対なものでした。
 そういうシーンが古典部シリーズには多いんですね。
 論理的には正解だけど、感情的には不正解みたいな。
 サイコロの一の目の裏は普通六だけど、ひねくれた人が作ったサイコロなら六じゃないかもしれない、みたいな。
 いえいえ、米澤穂信さんがひねくれているなんて言ってませんよ(笑)。

 うーん、うまく言葉に出来ないんですが、ミステリーの体裁を取りながら、その実正反対なことを「古典部」シリーズはやろうとしているような、そんな印象を持ったり。
 本作で言うなら、事件を知る人に話を聞きに行くというのは、ミステリー的にはアウトなんじゃない、というところがそれに当たります。



 折木奉太郎について語るのは次作が相応しいと思うので、今回は千反田えるさんについて、語ってみよう。 

 折木奉太郎と正反対と言っても良いほど、消費エネルギーが多い少女、千反田える。千反田は日常の些細な疑問を逃さず、掬いあげることができる、将来は科学者にでもなりそうな女の子です。

 けれど、千反田は不思議を見つけることはできても、解決することはできない。

 そこで折木奉太郎の出番がやってくる。
 彼は不思議を見つけることはできないけれど、解決することはできる。

 ……考えてみれば、千反田と奉太郎のコンビは、適材適所でかっちりと埋まっていますね。こういうパートナー関係というのは、一種の理想なんじゃないかなぁ、と思います。

 あー、結局、千反田と奉太郎の話になってしまった(苦笑)。

氷菓 (角川スニーカー文庫)
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愚者のエンドロール (角川スニーカー文庫)
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