WS000648「たとえばベイ―― 彼は望んだ相手と添い遂げることが出来ないと言われたの おまえの人生は奪われ続けるだろうと」(リザ・ブレンナー)

『ディエス・イレ アクタ・エスト・ファーブラ』のネタバレ感想/プレイ日記です。Chapter7「Death Indra」終了。まずは香純ルートを進めます。



 死人は死人らしく腐っていろ。こいつの存在とその在り方は、それだけで酷い歪みだ。正視に耐えかねるし、許容できない。

 前回から時を置かずして、リザ・ブレンナー(シスター)と現黒円卓最高戦力トバルカインが襲来。第三のスワスチカ解放。続けて、ヴァレリア神父がリザを抹殺し、四つ目。神父さんは、なにやら黒円卓の意図とは、違う目的で動いてるっぽい。

 今回は、ベイやマレウスといった、ある種戦場に「狂った」人間ではなく、人間としてまっとうすぎるリザが、相手だけあって、今までとはちょっと趣が異なる戦闘になってました。スワスチカに大量の魂を捧げるという目的を果たす、ただそれだけの行動。なので、それが果たされたらさくっと撤退。櫻井放置で

 ただリザの使う聖遺物、青褪めた死面(パッリダ・モルス)が、死体を操るというものなので、作中テーマの「死者を蘇らせるという願いの是非」としては、ド直球な内容。第二章で神父に語っていたように、蓮は死者は死者、なくしたものは取り戻せないという主張をしているので、トバルカインの在り方に拒否反応。ただ、どうもトバルカインの自我は生きてるっぽいんだよね。肉体は死んでいるようだけど、心は若干残っているっぽく(リザがそういう風に改造した様子)、ベアトリスという名を叫んでいる。肉体的には死んでるかもしれないが、精神が生きているとしたらどうなの?という問いかけか。

#ベアトリス・キルヒアイゼンは、櫻井の前の第五位。死んだベアトリスのあとに、櫻井が埋まり、どうやら螢にとっても大切な人だったっぽい。彼女が戦う理由――というか、生き返らせたい人は、どうやらこの人とトバルカイン三代目の人のようです。

 で、そのことを知らぬ櫻井は、それでもトバルカインの危機に思わず、飛び出してしまうんですが、その行動自体が、どこかで人は死んだらそこまで、生き返らせることは出来ないし、してはいけないということをわかっている証左なんじゃないかな、と。とはいえ、大切な人が死んで、その人を生き返らせる手段があったら、縋ってしまうのは人の性だと思うんで、どう諦めさせるのか、櫻井が彼らの死にどう向かい合っていくのか今後も注目です。

 神父やシスターの願いもまた、誰かを生き返らせることのようなんですが、そもそも登場人物の多く、彼ら自身も歴史上の人物(がモデル、ないしそのもの)だったりするんで、その死をねじ曲げて、生き長らえているわけで。この辺りも、落としどころをどうつけるのか楽しみだったりしますね。

 で、それぞれの願いが明かされつつあるんですが、究極的には最初に引用したような「呪い」を超克しようというのが目的っぽい。ヴィルヘルムなら、本命をいつも誰かに奪われ、添い遂げられないという「呪」。それぞれの団員が、副首領メルクリウスから同様の薫陶を受けていて、その法則を突破するために行動している、そんな印象を受けます。

 蓮が果たして、日常を取り戻せるのかということもさることながら、相手側の黒円卓にも情が湧きつつあるので(笑)、彼らの動向も気になるところ。

マグダラのマリア―エロスとアガペーの聖女 (中公新書)
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旧約聖書 創世記 (岩波文庫)
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