「C」第1巻 <Blu-ray> 【初回限定生産版】「You have control.」

『[C] THE MONEY OF SOUL AND POSSIBILITY CONTROL』第十一話「control(未来)」のネタバレ感想です。



「いや、必然だ。倒さなければならないのは、わかっていた気がする」(三國壮一郎)

 それはおそらく、あの日。ディールを経て、目の前の光景が変わったはずの公麿が、何事もなかったかのように、缶コーヒーをごちそうした、その日からわかっていたこと。三國の前に立ちふさがるとしたら、公麿以外にいなかった。昔の自分に似た、この男以外にありえない。

 三國としては、どうしてもそんな公麿を否定したかったと思うんですよね。なぜなら、公麿は挫折を知らなかった三國壮一郎その人だから。その存在は、「今」の三國とぃう存在を脅かし、否定しうるものなわけです。

「もしおまえに妹がいて、同じ目に遭ったならきっと! おまえも同じように振る舞っただろう」(三國壮一郎)

 この台詞を聞いたとき、最初は「惜しい」と思ったんですよね。『C』を公麿の物語として見れば、三國と同等の経験(明日に進むことで、失われるかもしれない存在がある)をした上で、それでも「未来を目指す」という、そんな話になると思います。だけど、公麿にはそういう存在がいない(真朱なのかと思ったんですけれど、そこまで――三國にとっての貴子――ほどではないのかなと)。だから、惜しい、もったいないな、と思ってしまった。

 でも、これを三國サイドの物語として見たならば、すごく自然なんですよね。貴子のためではなく、自分のために戦っていたのではないかと、再々言われ続けている三國さんですが、これってたぶんその通りなんですよね。三國は結局自分のために戦っていた。貴子の「未来」のために何も出来なかったあの日の自分を、払拭するためだけに動いていた。

 だから、そんな自分の行動理由を、根底から覆しかねない公麿の存在が邪魔だった。

「残念だ。残念だよ。俺はお前に後を継いでほしいと思っていた」(三國壮一郎)

 だからこそ、ギルドに入れて、公麿を変えようとしたんですよね。三話以降、三國さんが、いろんなところで、公麿を変えようとしている、そんな動きが見られますね。それでも、公麿は変わらず、あの日の自分のまま、三國に食ってかかってきた。第一話、第二話の感想で、公麿のすごいところは、「変わらない」ところだと書いていましたが、ドンピシャですね。

 そして、そこまで公麿のことをわかっている三國だからこそ言える、この台詞が切ない。自分が既に手遅れの状態であることを、三國さんはちゃんとわかっていたんですよね。・゚・(ノД`)・゚・。

「ものの見方が違うだけだ。目的は同じだよ。時既に遅し、だがな」(三國壮一郎)



「10億!」(三國壮一郎)

 ミクロ五千万も含めて、バトルのインフレっぷりが熱かったです。ディレクトに十億使ってしまう三國さんを見て、こいつにこの国を任せてはおけないと思ってしまった……。



「世界最強の通貨が無効になる日が来るとは……」(副総裁)

 結局本作は経済の話でもなんでもなく、「お金」(=通貨)のお話だったんだな、と再確認してました。竹田崎の陰謀のせいで、あっさりと日本円の「信用」が下落していきましたが、それぐらいお金の「信用」なんて確かなものでもなんでもないということ。高校生ぐらいで、このアニメを見ていたら、この部分が一番パラダイムシフトの原因になるんじゃないかなぁ。どうですか、高校生の皆さん?

 これは日本円の話ではありませんが、ちょうど今、アメリカ国債がデフォルトするのか否かという状況で、そうなればドルの価値ってどうなるのだろうと、実はまったく他人事ではない状況だったりします。リアルC現象が来てしまうかもしれん。そんな状況。



「わかる? あたしたちアセットって、アントレの未来なんだって! あたしは公麿のために戦ってた。でも、公麿はあたしのために戦っているっていうの! それっておかしくない?」
「どうでもいいのです」
「そんなことない! なんかちょっと安心するし、それが本当なんだよ!」(真朱&Q)


 これは僕も「本当」だと思った。自分の未来をアセットという形で擬人化することで、すごくわかりやすいメッセージになっていると思うんですが、これって実は当たり前のことですよね。

 誰もが「いま、ここ」にはない理想や夢を持っていて、そこに到達するために「いま、ここ」でどうしようか、と悩んでいる。公麿が真朱のために、真朱が公麿のために、戦うのは、そういうことなのだと思いますよ。どちらも欠かすことはできない。どちらも大事。僕も、これから何か頑張るときは、未来の(可愛い)アセットのために!と言うことにします。



「最後話したとき、妹は言った。ずっと今日が続けばいい、このまま何も変わらない毎日が永遠に続けばいいと! 明日ともしれぬ妹の血が! 滲んだ肉声だ! わかるか! 俺が今こそ大事だという理由が! 人間として在るべき姿は、目の前にあるものを愛おしみ、大事にすることだ。形の見えない先のことを考えて、損をすることじゃない」

「でも、おれの目の前は変わっちまったよ! どっか行っちまったよ。おれなりに、自分の周りの人々とか、大事にしていたつもりだったんだけどっ!」

「俺が動かなければ、全ては潰れた! そして、救われた人たちがいる。違うか!」

「未来がないのに、救われたってしょうがないじゃん。妹さん、本当は違うって言ってほしかったんじゃないの? 自分が言ったことを!」(三國壮一郎&余賀公麿)




「俺がどうしようと! お前がどうしようと! いずれ人類は滅びる。だから、俺は常に今日が最後だと思って、全力を尽くしている! 明日などどうでもいい。それだけだ、それだけのことだ!」

「昨日よりもひどい明日が来ちゃったら、どうするんだよ!」

「それもまた今日になる!」(三國壮一郎&余賀公麿)


「いまを生きる」という話を聞くと、僕は即ハイデガーのことを思ってしまいますが、今回も大体それで読み解けます。ハイデガーの考え方にダーザインとダスマンという考え方があるんですが、三國さんが志向している「いま、ここ」に生きるダーザインのような生き方。ダスマンがまあ毎日怠惰にグダグダ生きているような生き方なので、ダーザインしか選びようがないだろ、という感じですが(めちゃくちゃ単純に言うと、ですが)、この考えはこの考えで問題があります。

 ハイデガーの時間観なんですが、この人時間がびよーんと続いているのではなく、一瞬一瞬で途切れている(人は一瞬一瞬死んで、生き返っている、みたいな)という風に考えているんですね。だから、人は今この瞬間にしか生きようがない。三國さんの言っている「明日も今日になる」というのは、そういう世界観なのだと思います。今日しかない。時間が「いま」で止まっている。

#『Dies irae』というPCゲームで、三國さんと同じような生き方がするキャラがいるのですが、その世界観は「無間地獄」と称されていたりします。時が止まった地獄です。

 ですが、まあ僕らのような普通の人からすれば、時間というのは昨日から今日、今日から明日へ流れていくものです。そんなファンタジーのような世界観、納得出来るわけがなく。三國さんもそうした世界を構築するために、金融街というファンタジーを使うほかなかった(金融街を地繋ぎの現実と称した時があったように思います)。



「夢から覚めるお時間だ。ふふふ」(竹田崎)

 そうして、金融街やミダス銀行、ミダスマネーという虚構(ファンタジー)は消え失せる。金融街を飼い慣らして、利用しようとした三國は、消えてしまったディレクトにもう一度縋ろうとしてしまう(消えた後に一瞬握ろうとする)のが、切ない。「いま」のために、この一瞬のために戦い続けていたのに、その手に掴める「いま」は何もないという。

 一方未来を見続けていた公麿は、その先があるがゆえに、三國に拳を入れられるというのは、テーマ的にも素晴らしいんですが、ストレートに格好良い描写でした。



「だとしたら、俺が今までやったことは、なんだったんだろうな」(三國壮一郎)

 そうして貴子との一瞬の再会に繋がる三國ですが、彼には未来がない、未来を見ようとしなかったがゆえに、この疑問に誰も答えてくれないという。もう少し、三國さんに優しくしてあげてもいいじゃん・゚・(ノД`)・゚・。

「未来で逢おうよ」
「ごめんだね、俺は永遠に今日に留まる」(余賀公麿&三國壮一郎)




「後悔しないな? 好きにするがいい」(三國壮一郎)

 サトウさんが公麿に未来を託したように、三國さんもまた未来を託して去っていく。公麿がそれだけ「信用」できる人だと、二人ともわかっていたのでしょうね。これだけ「変わらなかった」彼ならば、これからもずっとこの世界を見守ってくれるだろうと。

 改変後の世界で、公麿が座っていたベンチは、三國さんがずっと「今」を見るためにいた場所(アントレが破産したり、影響が大きいディールが行われた後には、必ずそこにいた)。そこで公麿は、「未来」を見ている。

 三國さんの思惑とは違った形になったけれど、それでも継いでくれたような、そんな感覚があって、嬉しくなりますね。三國さん。・゚・(ノД`)・゚・。 いや、本当に、改めて自分は三國さんが好きだったんだなー、と。



「それだけ、“信用”されていた、ということですよ」(井種田)

 未来か、今か、というテーマと並行して描かれていた感のある「信用」についてですが、この締め方は上手いなぁ。おそらく「お金」についての議論は、ほぼ竹田崎の末路で描かれている。

 自分が「信用」される存在になろうとしてたのに、知らず知らずのうちにミダス銀行を信用し、寄り掛かって仕事をしていて、その信用は自分のものではなかったという。だから、日本円の価値がなくなって、それに伴って金融街も消滅。ドル圏として生まれ変わる日本に、竹田崎の居場所はなかった。

 これは、結局本当に「信用」できるのはなんだろう? というお話なのだと思いますが、やはりそれは「人」なんですよね。サトウさんや三國さんが最終的に公麿を信用して、後を託していったように、人以外にはありえない。なにせ何千年前のギリシャ神話に、現代の人は心動かされたりするわけですよ。それだけ、普遍的な何かが人には宿っている。「変わらない」ことができるのは、人間だけです。

「ここはあなたが取り戻した未来。私どもからいたしますと、未来とはすなわち担保。未来あるところ、私ども在り。金融街は不滅なのです」(真坂木)



 中村健治監督や脚本の高木登さんをはじめ、スタッフの方々、素晴らしい作品をありがとうございました。三ヶ月間全11話本当に楽しませていただきました。ちょっぴりサトウさんの過去や動機に対するフォローがどこかで入ればいいな、と思いつつも、ここらで筆を置かせていただきます。本当にありがとうございました!

 そして、これまでずっと僕の感想を読んでくださった皆さんも、今までどうもありがとうございましたm(_ _)m ずっと僕の感想を読んでくださっている方もいれば、この作品が縁でこのブログを知った人、いろんな方がいるとは思いますが、また別の作品でお会いしましょう。ではでは。



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