機動戦士ガンダム00  −A wakening of the Trailblazer− (角川スニーカー文庫)「死ぬなよ」(グラハム・エーカー)

 木村暢さんの小説版『劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-』のネタバレ感想です。


 大まかな感想は映画を見たときに書いているので、そのとき漏れてしまったもので、かつ小説版でより鮮明に描かれた「グラハム・エーカー」について書きます。

 ……のまえに、一つグラハムさんの考察でおすすめのものをあるので、貼っておきます↓

『劇場版機動戦士ガンダム00』グラハム・エーカーと沙慈・クロスロードが見せた「戦場の花」 ひまわりのむく頃に/ウェブリブログ

 これを読んだ上で、続きを読んでくだされば、と思います。いや、書き終わってから、改めて読み直してみたらほぼ同じ内容になったので、別にルイさんので十分かもしれません(笑)。

 小説版では追加で何かが描かれたというわけではないんですが、彼がエルス中枢に突っ込んでいくときの心情が描かれていて、そんなことを考えながら宇宙を飛んでいたのかと。そこがどうしようもなくダブルオーの核心を突いていて、猛烈に込みあげてくるものがありました。

 そうした劇場版では、こうかな、ああかな、と想像するしかなかった彼らの心情が、木村暢さんの「イチ解釈」のもと描かれているのが小説版の魅力です。これがまたすごく鋭く、(偉そうですが)「わかってるなぁ」という感じなんですよ。オススメです(自分の解釈と比べてみるのが、面白いです)。

 では、彼がどのように描かれたのか。

 彼は自分が「矛盾」しているということをようやく肯定できたとそう言うわけです。孤児院育ちだった彼が自由自在に空を飛ぶことを求めた。だからこそ、そんな空を汚したソレスタル・ビーイング(=ガンダム)が許せなかったと。だけど、その一方でガンダムの強さに惹かれてもいた。

 後者を否定するために戦っていたのがファーストシーズンの彼だったんですね。何としてでも、ガンダムを超える、ハワードやダリルの仇を討つことで、ガンダムに惹かれる自分を否定しようとした。だけど、第一期では引き分け、第二期では敗れ、あまつさえ刹那に見逃されるという。

 ここで死のうとした彼が、「生きるために戦え」という刹那の言葉で生きることを選ぶわけですが、この言葉もまた矛盾を秘めた言葉なんですね。劇場版ではこの言葉が、何度となくいろんな人物から発され、その「矛盾」した感覚を視聴者に残してくれます。なにかおかしいんじゃないか、というか、「違和感」のようなものを感じながら、この言葉を聞いていた人も多いんじゃないでしょうか?

 だけど、そうした「矛盾」を手放せないのが人間なわけです。
 少なくとも、ダブルオーでは一貫してそうした人間の描き方をする。

 そりゃあ、そうですよね。ガンダム大好きじゃないグラハムさんなんて、グラハムさんじゃない(笑)。小説版を読んでみて、こうした「矛盾」に改めて意識を巡らしてみれば、他にも色々と出てきます。例えば、ダブルオークアンタは刹那の望んだ「対話」のための機体、だけど、ちゃんと「武装」(戦うための道具)も載っている。

 これもまた一つの「矛盾」ですが、目覚めた刹那は(意識を失う前もですが)決して戦おうとしないんですね。「対話」のためにやってきたから、武器を使わないと。だけど、そうした姿に、グラハムは「待った」をかける。

「生きるために戦え、と言ったのは君のはずだ!」(グラハム・エーカー)

 そんな矛盾を抱えてもなお生きろ、と言ったのは君のはずだ。なぜそんな君が武器を取らないのか(=戦わないのか)とそう激励するわけです。そうして、ようやく刹那は武器を、バスターライフルでもって、エルスに攻撃を仕掛けます。生きるために、解り合うために戦う。

 刹那が蒔いた種が芽吹き、今度は刹那の方に花を咲かせる。

 刹那の想いがグラハムに伝染して、返ってきたわけです。刹那が生かしたグラハムが、今度は刹那を「生かした」と。ラストシーンで、量子ワープを試みる刹那が「これからの旅に、武器はいらない」とクアンタの武装を解除することができた――彼がずっと抱え、苦しんでいた「矛盾」を解消できた――のは、グラハムの存在があったから。

 そして、それはグラハム自体の「救い」にもなっているんですよね。

「これから出向く戦場では、諸君らに命を懸けてもらうことになる。だが、あえて言おう――死ぬなよ!」(グラハム・エーカー)

 こんな言葉をかけずにはいられないほどに、彼はこれまで多くの部下を失い、自分だけが生き残ってきた。上官を殺し、ダリルやハワードといった部下を失い、ただ一人自分だけが生き恥を晒してきた――そんな恥を晒してでも生き続けてきた――彼が、どうしようもなく自分の「死」から逃れられずに(あの瞬間既にエルスに飲み込まれつつあったので)、選んだ「死」。だけど、それは、

「これは死ではない。人類の未来のための――」(グラハム・エーカー)

 他者を殺し、自分だけが生き続けていた彼がまさに死ぬとき、初めて他者を「生かした」瞬間だったんですよね。人類の未来のために、そして、自分がついぞ乗り越えきれなかった男の未来のために。

 そうして訪れた刹那とマリナの和解。「解り合うために武器を取らなければならない」という矛盾をひたすらに貫き通した果てに、ようやく訪れた瞬間だったわけですが(ここまでちゃんと描くのがニクいですよね)、そこにたどり着くまでにはこれまで刹那が関わってきた人々すべての存在を欠くことができなかった。

 そんなダブルオーの物語を、刹那の物語を改めて感じさせていただきました。んー、結局三回見に行ったけれど、今からBDの発売が待ち遠しいです。

→小説版

機動戦士ガンダム00  −A wakening of the Trailblazer− (角川スニーカー文庫)
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→BD/DVD年内発売

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