「『あの丘の向こうに何があるんだろう?』って思ったことはないかい? 『この船の向かう先には何があるんだろう?』ってワクワクした覚えは?」(魔王)

 最近話題になっている、Web小説『まおゆう』こと魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」の応援記事です。本編はこちらのサイトから読めます。


 どんな物語かというのは、素晴らしい紹介文があるので、こちらを参照で↓

泣けるほどおもしろすぎるネット小説を読んだので熱烈推薦するよ。 -Something Orange

 ようは、ドラゴンクエストのような、勇者が魔王と倒すという、善悪を二元的に捉えた物語のその「先」を描くお話です。勇者の「その後」を描く物語でもある。こういう物語の原体験は、僕だったら吉崎観音さんの『ドラゴンクエストモンスターズ+』かなぁ。

ドラゴンクエストモンスターズ+ 4 (ガンガンコミックス)
ドラゴンクエストモンスターズ+ 4 (ガンガンコミックス)

 この漫画で、ドラゴンクエスト2の「その後」が描かれます。ロランという少年(ローレシア第一王子)が、シドーを倒したあとに辿った軌跡が描かれるわけです。簡単に説明すると、彼は人々から迫害を受けます。シドーという魔王が倒されたということは、それ以上の「力」を持った者が生まれたということ。そして、その「力」を怖れた人々は、生け贄はただ一人で良いと考え、皮肉にも「魔法」を使わず人間らしい「力」で戦い続けたロランに迫害の手が及び、彼は一人ローレシアを去ります。そうして、異世界を彷徨い続けた彼が、再びローレシアに戻った時その国は跡形もなく滅んでいました。「勇者」たちの戦いが必ずしも皆を幸せにするわけではない、そして「勇者」自身をも幸せにしないという展開に初めて出会って、衝撃を受けたのを今でも覚えてます。今思うと、それが語られる第四巻が出たのは2002年、僕は十四歳、中二病の真っ最中ですね(笑)。いや、この漫画自体はドラクエファンなら、めちゃくちゃ面白いと思うので、是非一読あれ。

 勇者の使命に殉ずる……、ただそれだけでは勇者も皆も幸せになれない。では、どうすればいいのか、それを具体的に描き出そうとしているのが本作「まおゆう」です。



 この物語、魔王と勇者が出会うところから始まります。ここからして、「おおっ!」と思ってしまうんですが、それはなぜか? 基本的に、魔王と勇者の出会いというのは、物語を終わらせるためにあるものなんですね。彼らが出会うことによって、戦うことによって、物語が閉じていく(だからこそ、多くのRPGはクリアしたあと彼らが出会う前のセーブデータに戻る)。彼らの出会いというのは、そういうものであり、また彼らの「役割」というのも、そういうもの(=物語を終わらせる)。そんな物語の「終わり」から、このお話は始まる。ここで戦いが始まれば、普通の物語なのですが、あろうことか魔王は勇者に語り出します。実は、魔王は経済学者だったのです!

 魔族は悪で人類は善だと単純に二分できないこと。

 魔王と勇者が戦い、どちらかが勝つことで何が起きるかということ。

 戦争が始まってから人類の人口が急激に伸びた理由。

 本当の「豊かさ」はどういったものか。

 訥々と、魔王は世界に起こっている「本当」のことを話す。勇者には嘘はつきたくないといって。その上で、彼女(そう、勇者の反応からしてとびっきり可愛い女の子!)はある提案を持ちかける。

魔王「『あの丘の向こうに何があるんだろう?』って 思ったことはないかい? 『この船の向かう先には 何があるんだろう?』ってワクワクした覚えは?」

 と。戦って、どちらかが勝ち、負けるという結末ではなく、「まだ誰も見ぬ結末」が見たいと。それを一緒に見てはくれないだろうかと。「世界の半分をやる」(これもドラクエのパロディ!)という取引の無意味さを語り、その上でその願いの対価として彼女が差し出すのは「自分」。

魔王「半分などとけちくさいことは云わない。
 でも大地は私の物ではないから差し出せない。
 勇者が欲しい。代価は私にはらえる全て。
 つまり、私自身だ。
 これだけは私の意志で勇者に捧げられる。
 お願いだから私の物になってくれ」


 そうして、勇者と結ばれた「相互所有契約」。ここで重要なのは、これは魔王の「わがまま」に過ぎないということ。この段階ですでに、勇者と魔王が戦うことによって世界のバランスが取れていることが明かされています。つまり、彼らが自分の役割に殉ずる限り、他の「みんな」には今の生活が保証されてる、そういう世界なわけです。それでも、戦争で人は死ぬし、飢えて人は死ぬことに変わりはありません。が、少なくとも魔王が「丘の向こう」を目指すよりは、ずっと流れる血は少ない。そういう意味では魔王が目指す道ははた迷惑以外の何ものでもないのですが、それでも、勇者は承諾した。それは何故だろうかと考えると、このお話の構造が見えてきます。ようは、何故勇者が承諾したかといえば、それが彼女の「個人的な願い」だったからですね。そして、もうひとつ重要なのは、それが「魔王」としての「役割」からも逸脱しないということです。

魔王「戦争を終わらせるのが軍だとすれば
 終わる着地点を模索するのが王の役目だ」


 と、魔王は自分の「役割」に自覚的です。ただちょ〜とだけ、自分に都合の良い、自分が見てみたい着地点を模索しているというだけで。そのさじ加減が絶妙です。そして、それと同じことを名もなき農奴の少女であった、メイド姉がやってのける、しかも魔王よりもすごい領域で! そういうところが素晴らしいわけです。魔王は世界から与えられた「役割」の中で、自分の「個」としての願いを叶えようとしますが、メイド姉はその「役割」自体も自ら探し当てる。そして、それを世界に宣言する行が本当に熱く、涙をそそります。中世の世界を模したこのファンタジー世界では名もなき「農奴」、「取るに取らないもの」であった少女が、世界にとって不可欠な存在であると「世界」そのものに認めさせる、その成長劇っぷりは本当に読んでいて、胸を熱くさせます。

 しかし、そういう役回りを演じるのは、メイド姉だけではありません。

 この物語は優れた「群像劇」の体裁を取っています。伊坂幸太郎さんの作品に『フィッシュストーリー』という傑作短編がありますが、あの物語で描かれたような、世界と個人がちゃんとした手順を踏んで繋がっていく、そういうダイナミズムがあの傑作以上の密度と広さで描かれます。

 フィッシュストーリー (新潮文庫)
フィッシュストーリー (新潮文庫)

 なにせ『フィッシュストーリー』はイチ短編にすぎませんが、『まおゆう』は文庫換算で四、五冊に及ぼうかという大長編です。しかし、そういう長さにも関わらず、行き着く暇もなく読んでしまう。王には王の、軍人には軍人の、商人には商人の、吟遊詩人には吟遊詩人の、土木師には土木師の、正教師には正教師の、騎士には騎士の、そして、勇者や魔王にはそれぞれの「戦い」があり、それらがリンクしていく後半の展開、世界に対して、他者に対して、人々がはっきりと対峙していく流れは圧巻の一言です。最初は魔王と勇者の二人の願いに過ぎなかった。「丘の向こう」を見るために、一丸となって世界が動き出していきます。

 まおゆう応援記事その2に続く……