喰霊-零- Blu-ray Disk BOX (初回限定生産)「私、諫山の養女なの」(諫山黄泉)

 BS11で再放送されている『喰霊-零-』ディレクターズ版第三話「邂逅砌(かいこうのみぎり)」のネタバレ感想です。黄泉さん、かわえええ。ノリちゃん、こういうキャラなのか(笑)。


「あれね、諫山家に代々伝わる宝刀、獅子王。お父さんはそれを血の繋がらない私に預けてくれた」
(中略)
「私は諫山家の宿命を、退魔師の使命を継ぐの。そう、それが私の存在意義のすべて」(諫山黄泉)


 あー、これは切ない。三年前の黄泉と神楽のやり取りを見るだけで、なんかもうじわじわと来るものがあるんですが(二人ともかわええー)、これだったら余計に黄泉は切っちゃいけなかったんだ、その「絆」を。切ったのは「それ」ではなかったつもりかもしれないけれど、「それ」を切るということは神楽との「絆」をも否定することと同じなんだから。

 おそらく今の黄泉と昔の黄泉の違いはほぼこの一点に集約されるのだと思います。諫山家の宿命、退魔師の使命(共に諫山奈落=父との繋がり)を肯定的に捉えているかどうか。諫山家の養女である、つまり奈落と血の繋がっていない黄泉にとって、その「家」――諫山家の宿命、退魔師の使命、すなわち「柵」(しがらみ)――こそが二人を結ぶ繋がり、「絆」であったはずなんですね。そして、それを三年前の黄泉は「拠り所」にしていた。自身の存在意義だと言って。

 そして、その文脈で、黄泉「お姉ちゃん」と神楽も繋がっている。彼女らが何故出会い、一緒に暮らし始めたのかというと、退魔師という共通する使命を持つ「分家」だったからですよ! この二人の繋がりも元を辿れば「家」だった。だけど、もしかしたら黄泉はそのことを意識していなかったのかもしれない。黄泉「お姉ちゃん」と呼ばせる意味を、あるいはちゃんとは理解していなかったのかもしれない(ここはどうだろう、「妹がほしかった」と言っているので、わかっていたのかもしれない)。

 そんな彼女が、現代になって、神楽に言ったのが、

「私を“姉”と呼ぶな!」(諫山黄泉)

 神楽との「絆」を、そして、その大元の「家」を否定する言葉。あるいは否定したかったのは、後者の「家」だったのかもしれないけれど(神楽の「お姉ちゃん」が意味するところは「家」なので)、それを否定するのは神楽との「絆」を否定するも同じ。喰霊白叡と人との繋がりを得るために、縛という「柵」(しがらみ)が必要なように、それらは本質的に同じものなんだから。

→このジャケット、切なすぎるだろ。・゚・(ノД`)・゚・。

喰霊-零-イメージソング集 百合ームコロッケ
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