夏のあらし! 7 (ガンガンコミックス)「全てが 美しくて…………涙が……」(上賀茂潤)

 小林尽さんの『夏のあらし』第七巻のネタバレ感想です。いやぁ、ずっと面白い面白いと思って読んでおりましたが、六巻七巻の怒濤の展開がすごすぎる。


「今が決まっている だから過去へ向かうことはムダ」と思うのは「未来が決まっているから、今何もしない」ことと同じです(山代武士)

 本作は所謂タイムリープものなのですが、ずっと珍しいアプローチをしていて、それは「今」がすでに決まっている世界、タイムリープすることでその影響を受けている世界、だということです。なので、これまで何度なく、過去へ飛ぶことですでに変わってしまっていた理由を一(はじめ)たちは、確認してきた(結果として作ってきた)わけです。

 つまり、タイムリープして過去改変をしないと「今」の世界が成り立たないわけです。実質的に「過去」は変えられない。戦争が起きたという歴史的な「事実」を変えられないのと同じ意味合いで、どんなにもがいたところで変えられない。歴史をなぞるのかなぞらないのかという選択だけ。

 そして、今巻で改めて問われるのは、それでも過去へ飛ぶのか否かということ。あらし達が幽体となって「夏」を彷徨うきっかけになった、1945年5月29日横浜大空襲の日に飛ぶのかどうか。

 トラウマになるような、自分すらも「死んだ」その日に戻るか否か。
 それとも、方舟での「今」の生活を選ぶか。

 でも、これって山代さんから、暗に仄めかされていることでもあるんですが……、多分「ここ」で彼女たちがつらい現実を目の当たりにしてもそれでも逃げなかったからこそ、「今」があるんだと思うんですよ。喫茶店「方舟」での夢のような、楽しい「今」があるのは、おそらく「今」この瞬間に過去へ飛ぶこと、自分の時代で生きることを決めたからだと思うんですね。

 この辺り多分次巻(最終巻かな?)で種明かしされるのかな、と思っているお話なんですが、魂と身体の乖離がなぜ起こったのかはその辺りに絡んでくるのではないかなぁ、と。

「今」「ここ」での選択が、過去から現在そして未来のすべてを決める。

 そーゆー構造になっているんですよね。「今」の選択が過去を決めるとは、何かおかしな気もしますが、「今」この瞬間に過去へ飛ばなければ、過去での改変がなくなり、「今」がなくなる。ひいては、未来も。「今」この時を生んでいるのは、「今」の選択なんですね。そんな構造を使ってでも、それでも作者が描こうとしたのは、陳腐だなんだといわれようが、

「今」を「ここ」で生きることの尊さ。

 それは戦場のまっただ中(「し」)を体験し、それでも生き残って、「今」「ここ」で見る当たり前の風景に涙した、

「不思議なんだ… とっくに見なれたハズのいつも景色が 空が 家々が 草の1本に至るまで 全てが 美しくて…………涙が……」(上賀茂潤)

 潤のこの言葉に収斂されていると思います。僕もあなたも生きることに不自由しない生き方をしているので、ともすれば「生きる」っていうことについて鈍感になりがちですが、何かここまででぴくりとするものがあれば、是非本作を一読してください。次巻で(長くともその次ぐらいで)終わりそうなので、読みやすい長さかな、とも思いますし。

 最後に、今回の潤と同じように戦火を経験し生き残った、僕も大好きな画家の言葉を引用しておこうと思います。東山魁夷さんという方で、これは終戦間近爆弾を抱えたままで敵陣へとび込むという絶望的な特訓の最中、走らされた熊本城で、ふと目にした光景に対して、抱いた言葉です。「死」というものを目前にした、人の言葉。

 …どうしてこれを描かなかったのだろうか。今はもう絵を描くという望みはおろか、生きる希望も無くなったというのに…(東山魁夷)

 さらにこれが潤の心境に近いでしょうか。

 こんなにも美しい風景を見たであろうか。
 おそらく、平凡な風景として見過ごしてきたのにちがいない。
 もし、再び絵筆をとれる時が来たなら・・・私はこの感動を、いまの気持ちで描こう。(東山魁夷)


→コミックス第01巻

夏のあらし! 1 (ガンガンWINGコミックス)
夏のあらし! 1 (ガンガンWINGコミックス)

→非常に読みやすく、かつ有名どころは押さえてあるので、東山魁夷さんの絵を知るには最適だと思います。

もっと知りたい東山魁夷―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
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