「戦うよ。ルイスを取り戻すために、僕は僕の戦いをする」(沙慈・クロスロード)

 第十九話「イノベイターの影」の感想です。今回は完全に沙慈が主役だったなぁ。ここまで長かった。


「僕は知ってる。ルイスのこと。優しい女の子だってこと。宇宙に行くために一所懸命勉強したことも。わがままを言って相手の気を惹こうとする不器用な所も。……本当は寂しがりやだってことも。僕は知ってるんだ」(沙慈・クロスロード)

 アンドレイやアレルヤがしているような、自身の求める偶像を他者に押しつけるのではなく、その人自身の実像を浮かび上がらせようとする沙慈に好感。沙慈、良いなぁ。

 ダブルオーライザーのトランザムがガジェットになって、「対話」に焦点が当たっているのは明らかなんですが、この際にどうしても他者に望まざる「役割」を付与してしまう、ネガティブな可能性も考えてしまう(最近のアンドレイやアレルヤがその例ですが)。

 だけど、前回沙慈と向かい合って話していた刹那が、「会いに行こう、ルイス・ハレヴィに」と手を伸ばしたように、相手が真に求めていることを言葉にしてあげるのが本当の「対話」なわけですね。今回の沙慈とルイスの会話も、作中解である「対話」なのは、まず間違いないんですが、まだ届かない。届かせない。

 今更ながら、今の彼女が「恒久和平」という「みんなのしあわせ」(マクロな願い)を掲げているのは、好きな人からもらった指輪を左手の薬指にはめるという、些細だけど大切な「自分のしあわせ」(ミクロな願い)を求められないからなんだろうなぁ、と気づいて、泣けてくる。というか、ここですよね。指輪をはめてあげるとき、間違いなく向かい合っている(文字通り、「対話」している)だろうし。



「とんだ茶番だ。あのようなぬるい戦い。私の好敵手であることを拒むか、少年! ならば、私にも考えがある」(ミスター・ブシドー)

 オートマトンを利用し、罪の意識を感じずに大量虐殺を行うアロウズに対して、戦いに矜恃と美学を持つミスター・ブシドーは戦いの中では肯定されうるキャラクターではあるけれど、それが他称である以上作品の解には至らず、文字通り「戦う人」なのだなぁ。

「対話」という落としどころも、話を聞かないこの男にはどうしようもないし(笑)。「対話」に対する、最悪なカウンターですよね、この人。今回もあそこにいたということは、沙慈や刹那の思いも言葉も聞こえているはずなのに、それを「ぬるい」と称していますし。

 逆に言えば、これだけ言葉が届かない男であるが故に、刹那の最後のミッションは、彼に言葉を届けられるかどうかってことになりそう。



「だって、私はイノベイターなんだから」(アニュー・リターナー)

 他者から付与された、望まざる「役割」発動。
 さすがに、ここまでくると大丈夫だと信じたい。

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