「だったら、歌わなくちゃ」(女の子)

 何もしなければ当然何も起こらないけれど、何かをすればキセキだって起きる、そんな第十四話「歌が聞こえる」の感想です。何気に、マリナ姫よりもこの娘の方がすごいんじゃないかと思う。


「ヴェーダを使って、ガンダムマイスターに君を推薦したのは僕なんだよ」(リボンズ・アルマーク)

 ドラマCDや小説なんかで仄めかされていた情報が明かされたわけですが、アリー・アル・サーシェスとリボンズ・アルマークを前にして、というのが展開の妙ですね。

 ソラン・イブラヒムを戦いへと駆り立てた二人を前に、壮絶なる種明かし。今も昔も、自分は戦うことを選んできたはずだったのに、それは他者が敷いたレールの上を歩いているだけだったという事実。

 刹那・F・セイエイという「役割」が揺らぐ。

 しかし、面白いのはここからで。
 刹那・F・セイエイを殺しにかかった二人ですが、それは叶わず、はからずとも(概念的に)殺してしまったのは我らがマリナ・イスマイール様という(笑)。マリナ様、執念の勝利です。何度も「刹那」と独りごちていて、良かった。届いたよ!

 刹那・F・セイエイが他者から与えられた「役割」である以上、いつかはそれから抜け出さなければならない(だからこそ、本作の終着地点であろう前期第五話は命令違反から始まるお話)。誰よりも(ある意味イノベイターよりも)、イオリア・シュヘンベルグの理念に忠実だった刹那が、ついに自ら選択する時が来た。ソラン・イブラヒムへと帰る時が来たのか、と思うと、やべー、普通に泣けてくる。ようやく、帰路につけたんだね。

 第一期OPでは、マリナさんへと伸ばした手が武器を持つ手に変わってしまったけれど、第二期OPではその手を掴む、ほんの手前まで来た。あとはただ掴むだけですよ。



「違う! 僕は人間だ!」(ティエリア・アーデ)

 イノベイターという他者から付与された「役割」(=使命?)よりも、自ら選んだ「役割」に殉ずるティエリア。普通に格好良い。刹那が揺らいだ、その瞬間に別の一人の結末を見せるのは上手いなぁ。すっと飲み込めるし、ホッとする。ずっと悩んでいたからなぁ。

 ただもう少しうがった見方をすると、今回のセラヴィー、セラフィムのガジェットは興味深い。ヴァーチェからナドレへと変身した時は、ヴァーチェが吹っ飛んでいって、ナドレ(人間性?)のみが残っていたけれど、今回はセラヴィーも残っているという。これはセラフィムという人間性を選択しつつも、セラヴィーというイノベイター性をまだ残しているということかも。人間寄りではあるけれど、イノベイターでもある。それらが両立したのが、ティエリア・アーデなのだ、と。



 抜けている回を補完できるかどうかわからないので、簡単に最近のお話をまとめてみましょう。

 前話が前期五話に相当していて、本作の解となるお話。前期五話ほどエッセンスがぎゅうぎゅうに詰まっているわけではありませんでしたが、他者から与えられた役割から抜け出して、自分にしかできないことをやってのける、ようは「適材適所」という所に収まるんだろうなぁ、と。

 それに伴って気になる動向はといえば、アロウズに着任させられたマネキン大佐とか、フリーダムでありつつも実は他称で役割を付与されている感のあるミスター・ブシドーの行方とか、凄まじく美しく描かれつつも、ソーマの意志に反してマリーという役割を押しつけちゃった感のあるアレルヤ、そして、張本人であるマリーはどうなるのとか。はからずとも? イノベイターのスパイをさせられている、アニュー・リターナーはどうなるのかとか。そんなところです。いやぁ、マジでこの辺りどうなるんでしょうな。楽しみだ。



 前々から思っていたんですが、他者から付与された役割とか自ら選んだ役割とかまどろっこしいんで、なんかイイ言い回しがないものだろうか、と考えてます。

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