「よう、おまえら。満足か、こんな世界で? 俺は嫌だね」(ロックオン・ストラトス)

 第23話「世界を止めて」の感想です。ロックオン。・゚・(ノД`)・゚・。


「ソレスタルビーイングは、俺たちは、存在することに意義があるんじゃないか。人間は経験したことでしか本当に理解しないということさ」(ラッセ・アイオン)

 これまでダブルオーで描かれてきたことを総括するような一言。そして、存在するってことは、生きるってことだよね。まさかラッセから、こんな台詞が出てくるとは思わなかったけれど(苦笑)。

 このブログでは、「実感」という言葉を使って散々言ってきたことですが、改めて作中でいわれると感慨深いなぁ。「経験」って、まさに「実感」が伴ったことだしね。

 そして、それを頭に入れると、兄の死に涙しているネーナなんて、まさに死を「経験」しているところで、今後のポイントになるんじゃないかと。「経験」がなかったときにはあっさり引き金を引いて、悲劇を引き起こしちゃったけれど、今「経験」して、果たしてこれからどうなるか、あの悲劇をどう受け止めるのか、って感じですよね。



「けどな、こいつをやらなきゃ。仇を取らなきゃ。俺は前に進めねえ。世界とも向きあえねえ。だからさ……、狙い撃つぜえぇぇぇ!」(ロックオン・ストラトス)

 そして、なんと言っても今回はロックオン・ストラトスでしょう。彼を突き動かしていたのもやっぱり、テロで家族を失ったという「経験」で。第八話の感想に書いたような、「目標を狙い撃つ」という台詞に隠された信念をかなぐり捨てでも、生き残って、それでも最後には信念通りに、世界の「悪意」ことアリー・アル・サーシェスを狙い撃つという。

 この一連の動きは、そういう経験をしていない僕にとっては、やっぱりすべてを理解するというわけにはいけないけれど、それでも……、いや、やっぱりダメだな。当たり前で、それで良いんだと思うんだけど、ロックオンの悲痛な叫びをちゃんと受け取れないのは、やはりなんだか悔しいよ。



 ダブルオーの第一期は「破壊」パートということで、ロックオンによる現世界の「否定」で締める辺りも、なるほどなぁ、と。まさに世界はこのままで良いのかと問題提起。

 惜しむらくは、やっぱりロックオンに見せたかったな。作品の性質上、それほど大きく世界が変わるということはないと思うけれど、それでもソレスタルビーイングの行動によって何かが変わった世界を。

 いや、まあ、実は生きているんじゃない?という淡い期待をしていたりするんですが(苦笑)。アニメージュの水島監督のインタビューにも「こいつ生きてたの?」みたいなこともあると書いてあったし。マイスターズがここで欠けてしまうとは思えない。最後に、「ガンダムマイスターは一人じゃない!」をもう一回やると思っている人としては、ロックオンの死を信じ切れないぜ。往生際が悪いですか?(苦笑)



「わからない。だが、俺は、俺たちは、イオリア・シュヘンベルグに託された。なら、俺は俺の意志で紛争根絶のために戦う」(刹那・F・セイエイ)

 個人的には、この台詞は再びガンダムに依存していくネガティブ記号かも、と思ったり。「俺は俺の意志で」と言っているけれど、傍目から見ていると、やはりまだまだイオリアの手のひらだなぁ、という感じがするんですよね。

 そして、(紛争根絶を目指して)ロックオンが死んでしまった今だからこそ問いたい。刹那よ、おまえがガンダムになりたかったのは、Oガンダムが紛争を止めてくれたからだったのか、と。

 この問いの答えは、感想で何度か触れていることだけど、作中で語られるのは、多分第一期ラストに待っているだろう、軌道エレベーター崩壊に際して、刹那が行う行動でもって、ということになるんじゃないかと。重ねて言っておくと、やっぱり軌道エレベーターの崩壊は(紛争が原因かもしれないが)「紛争」そのものではないんですよね。



「そこにいたか、ガンダム! ハワードの仇!」(ダリル・ダッジ)

 今回のダリルさんは、二重の意味でかませっぽいよなぁ。まったく持って見当違いな標的を狙おうとしたダリルと、ちゃんと目標を狙い撃ったロックオン。そして、マイスターズとトリニティを分けて、ちゃんと新型(=スローネ)と戦ったグラハムと、区別できていないダリル。

→DVD(今夏から、Blu-ray Discでのリリースが決まっているので、あまり急ぐ必要はないかも)

機動戦士ガンダム00 3
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