「でも、それ以上に信じたい……。信じたいのよ!」(マリナ・イスマイール)

 第13話「聖者の帰還」の感想です。マリナさんは死の「実感」を得、刹那・F・セイエイは、あの刹那、ガンダムとなる――。サーシェスとのMS戦も含めて、見所満載の一話でした。


 第八話で、刹那から「お前は何もやっていない」と強烈な批判を受けたマリナさんが、ようやく「自分にしかできないこと」(保守派との会談を設ける)を成したのが、今回だったのかなぁ、と。もちろん、アザディスタンの内紛が今なお続いている以上、マリナさんが自分にしかできないことをしたといっても、それは刹那的なものでしかない。だけど、それでもなお、あの瞬間、あの場所(王宮)にいた人達やテレビでその光景を見ていた人達の気持ちが一致した、お互いの利害やら何やらで普段は別の方向を向いている人達(保守派やら改革派やら)も皆、そのことを忘れて聖者(神)の行進を固唾を飲んで見守った、たとえすぐに再び紛争が起きようとも、その刹那みんなの気持ちが一致したということだけは、揺るがしようがない事実。そして、その瞬間は確かに「尊い」と思いました。

 これは第五話「限界離脱領域」辺りも一緒で、あの回も流されてしまった232名を助けたい!という気持ちが、セルゲイ中佐やアレルヤ、スメラギさんらで一致したから助けられた。
 この他にも、国際テロネットワークの時とか、ダブルオーという作品では、(普段は反目し合っている者たちの)刹那的な協力シーンが結構あるんじゃないかと。僕は、本作の山場に軌道エレベーターが崩壊して、それをソレスタルビーイングを含めて、世界中の人達が協力して、食い止めるという展開を予測しているけれど、これがあるとしたら、多分刹那的な協力シーンで、そのあとはやっぱりお互いいがみあった状態に戻っていくと思います。

 それでも、今回スメラギさんや王留美、アレハンドロ・コーナーが、その刹那的な成果に満足していたように、誰かがその(世界中のベクトルが同じ方向を向いた)瞬間を噛みしめて物語を締めるというのも悪くないなぁ、と思ったり。そういう意味では、ラストの街を見下ろす刹那は、その成果(刹那的、だけど、ガンダムになれた瞬間)を噛みしめているシーンだったのかなぁ、と。

 刹那・F・セイエイというネーミングの「刹那」は、そういう刹那的な部分から来ているのかもしれないですね。



 上記のように、今回はマリナさんが自分にできないことを成した回でもあるんですが、ソレスタルビーイングのやり方を受け入れた回でもあるんですよね。

 そのきっかけになったのが、今まで幾度となく触れてきた“死”の「実感」。今まで、理想に拘泥しすぎている嫌いがあったマリナさんですが、自身が死の危険にさらされ、かつ間近で人の死を経験した(=“死”の「実感」を得た)ことで、ようやく理想に拘りすぎているわけにはいかないと、ソレスタルビーイングを受け入れる、信じたいと思えるように変化しました。この辺り、ソレスタルビーイングに介入されて最悪じゃないと困っていたシーリンさんを、一瞬越えたシーンだと思った。

 そういう変化もあって、刹那から第八話と同じような台詞なんだけど、マリナさんにエールを送られるシーンはグッと来たよ。もう、僕は完全に刹那×マリナ押しで(笑)。



「後ろに隠しているものは、何かな?」(グラハム・エーカー)

 この男、ただのセンチメンタルな乙女座じゃなかったー(笑)。普段の奇天烈仰天な発言についつい忘れてしまいますが、グラハムは第一話冒頭でソレスタルビーイングの目的を看破しているのでした。真面目なお姿もなかなか素敵です(笑)。多分刹那の正体を看破した上で、情報を与える辺りが良いなぁ。イイ男すぎる。男の僕も惚れそうになったよ(笑)。

「同感だな」(グラハム・エーカー)



 な、なんか刹那的にもかなり重要な回だったのに、ほとんど触れていない自分にため息が(笑)。

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