「俺は、ガンダムになれないっ……!」(刹那・F・セイエイ)

 第12話「教義の果てに」の感想です。自分の「命」を助けてくれた「ガンダム」(=神)になろうと、今まさに奪われようとしている「命」を守ろうと、もがく刹那。しかし、人は神になれないのでした。いや、「この世に神なんていない」んだったか。


 これまでの端々の描写から、刹那・F・セイエイという少年は、劇中の人物の中で最も死の「実感」も持っているキャラクターとして描かれていて、それが故に今までは(「実感」を持っているように見えて、実は「俯瞰」しているだけだった)マリナさんなんかよりも抜きんでていたんだけど、今回はそのために苦渋を飲むことになったというのが面白かった。

 特にラストシーンなんかが象徴的で、刹那が第八話で「お前を殺しても何も変わらない」とバッサリ切り捨てたマリナさんは、このクーデターで死んでしまった人達を直に見ていない(=「実感」を得ていない)ということもあり、その失意の中(最悪の結果を招かないためにも)顔を上げることが出来たけれど、刹那はこの内紛で死んでいった人達を直に見ているため、最後まで顔を上げられなかった(既に、最悪の結果を招いてしまっている、と)。このギャップ、切ないわ

 過去の経験を経て、だからこそ今はソレスタルビーイングとして必死に紛争を食い止めようとしている刹那にとって、今回その紛争を、というか「命」を奪われようとしている人達を、助けられなかったというのは、自分の信念的にダメージが大きい。次回予告なんかを鑑みるに、それでも紛争を食い止めた(あるいはマスード・ラフマディ氏を助ける)ということで、アザディスタン王国の人達から崇められたりはするんだろうけれど、刹那的には今回「何もできなかった」という思いが強いので、そういう意味では同じく今回も「何もできなかった」マリナさんだけが第八話とは違うエクシア(刹那)に気づく……みたいなシーンがあったらいいなぁ。あとはやっぱりマリナさんにとってのシーリンみたいな、ちゃんと理解してくれて、支えてくれる人物(これがマリナさん?)が刹那にも現れるとイイですね。

 何度も書いているけれど、最終的には、今回刹那が少年と交わした「いつか宇宙に行ける」というお話も一つ伏線になっていて、刹那とマリナさん二人で(今はまだ行けない)宇宙に上がるんだと思うんですが、その前にそろそろマリナさんにも「実感」を与えてやっても良いんじゃないかと思ったりします。あの事態の中心にいるように見えて、実はめちゃくちゃ蚊帳の外みたいな扱いから早く抜け出した方がイイよ、マリナさん。



「俯瞰」「実感」という観点から言えば、今回のキーパーソンはアレハンドロ・コーナーとルイスママさんでしょうか。前者が「俯瞰」側の最右翼、そして、後者が(あまりに感情移入しやすいという点で)「実感」の最右翼という感じで。エクシアを見下ろして無遠慮に批評しているアレハンドロ・コーナーにも、沙慈にベッタリなルイスママさんにも、(前者はフツウの視聴者的に、後者はルイス好き的に(笑))憤りを隠しきれませんでしたが、アレハンドロ・コーナーなんかはラスボス然としてきましたね。個人的には、第10話の感想で書いた通り、アレハンドロ・コーナーがラスボスというのはピンと来ないけれど、国連の活動でもって世界に干渉し始めているので、そういう意味ではアリかも。思想的にはもちろんアリアリですが。



「人呼んで、グラハム・スペシャル!」
「あえて言わせてもらおう! グラハム・エーカーであると!」
「ようやくガンダムと巡りあえたというのに。くやしさは残るが、私とて人の子だ」(グラハム・エーカー)


 こ、この人、やっぱりバカだ(褒め言葉)。今週も(名台詞のオマージュ含めて)グラハム語録で一杯(笑)。ごちそうさまでした。しかし、ホント、ダブルオーがゲーム化しようものなら、この素敵な台詞集どうなるんでしょうね。僕、確実にグラハムを使うので、なるべく収録してほしいなぁ。笑いすぎて、まともに戦えなくなるような気はするけれど(笑)。

→DVD

機動戦士ガンダム00 3


→オフィシャルファイル










前回第11話「アレルヤ」の感想へ
次回第13話「聖者の帰還」の感想へ
『機動戦士ガンダム00【ダブルオー】』の感想インデックスへ