「作戦を完遂させることが、わたしの全てです」(ソーマ・ピーリス)

 最終的には、やっぱり第五話「限界離脱領域」に帰ってくるんだろうな、と感じた第10話「ガンダム鹵獲作戦」の感想です。ソーマが仲間意識が芽生えて、イイ感じになってきましたね。


「ヴェーダの予測なんて、私の予報で打ち破ってやるんだからっ!」ぐらいの心持ちで、スメラギさんはソレスタルビーイングに参加していると思っていたので、今回「たまらないのよ、こういうのはっ!」とか言って泣き出したのはびっくりした(苦笑)。

 あなたは、神にでもなられるおつもりか

 物語の端々で、何とはなしに、誰かしら「シナリオ」を書いている奴(=神?)がいるんじゃないかと感じていたけれど、今回それが明確になった感じがしました。ティエリアや王留美(ワン・リューミン)の台詞からも察するに、シナリオを書いているのは「ヴェーダ」、ひいては「イオリア・シュヘンベルグ」という理解で良さそうですね。ただ「神」云々については、第一話冒頭で「この世界に神なんていない」と既に棄却されているんですよね……。

 まあ、いいや。

 そして、この誰かによって定められた「シナリオ」(「運命」と言ってもいい)を脳裏に浮かべて、第五話にフィードバックしてみるのも面白いです(それぐらい第五話の内容は重要)。

 第五話の感想に割と詳しく書いているので、そちらを見ていただけると助かりますが、あの回は、「自分の役割」の暗示、「他者に与えられた役割」の放棄(アレルヤの命令無視)、地上人のミクロな視点の掲示(死の実感)、天上人のマクロな視点故の合理的判断(中央ブロックに人を集める)、そして、死の恐怖から人々を救う、と本作のエッセンスが十全に詰め込まれた、まさに珠玉の一話なんですね。そして、第五話は232名の人達を助けるというある意味ミクロなお話だったので、最終的にはそれが拡大して、地球上の全人類を死の危機から救うお話になるんじゃないかと。これは最後に全軌道エレベーターの倒壊が来るんじゃない?(笑)



 ティエリアの一人称の変化(俺→僕→私)については、ちょっと難しい。前回ぼそっと呟いた辺りが、解釈としては面白いかなぁ、と思いましたが。本来人間一人に一人分の人格(経験や知識)しか持てない所を、いじくり回して複数の人格(これまでソレスタルビーイングの活動に関わってきた人達の)を埋め込んだ……、そういう認識(そういう意味ではティエリアはある意味サイボーグ、ロボット的な感じで、だけど、間違いなく人間で)。そういう括りでいうと、ティエリアとアレルヤの関係は要チェックという感じでしょうか。しかし、上の話と合わせてみてもアレルヤが主人公!みたいになっているんですが(泣き虫だしね(笑))。

 ヴァーチェの中からナドレがっ!とある意味「予定調和」的な展開になりましたが(笑)、本作ではパイロットと機体の意味付け(関連付け)を意識しているという話を端々で聞くので、そのまんまの理解が妥当な感じですかね。普段のティエリアは、(ナドレがヴァーチェという殻を被っているように)「ティエリア」という衣を着ていて、だけど、その中には(ナドレみたいに)本当の自分が……的な。我ながら、ここで「殻」を「衣」に喩え直すのは作為を感じるよ(苦笑)。



「私は監視者であって実行者ではないよ。私にできることは彼らを見つめ続けるのみ。例えそれが滅びの道だとしても」

 と呟く、アレハンドロ・コーナー。これっていうのは、マリナさんの初期位置と一緒、と考えて良いのかなぁ。マリナさんが実はある意味俯瞰していた(関わろうとしなかった)のは、第八話の刹那との会合で明らかにされたことだけど(実際、王宮から市街の暴動を俯瞰しているシーンがあったと思う)、アレハンドロの場合はどうなんでしょうね。俯瞰すること(無関係でいること)なんて、厳密には不可能だという話(→第八話)もやっているので、この辺りは気になっていたり。



 ところで、「空気読めよ」と全視聴者から突っ込みが来たに違いない、沙慈とルイスの「ラブコメ劇場」ですが(笑)、ムリヤリ対比を取ってみると、「男の覚悟」が出来ているミン中尉と、出来ていない沙慈という感じでしょうか(苦笑)。さすがに、今回のお話にこれを入れる意図は(日常的な風景の外でも、絶えず戦闘が起こっているという意味での描写以外)見出せませんでした……。まあ、ルイスの着物姿が可愛かったので良しとしますか(←無類の着物好き)。

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