「俺は生きている、生きているんだ」(刹那・F・セイエイ)

 機動戦士ガンダム00【ダブルオー】第07話「報われぬ魂」の感想です↓。徐々にガンダムマイスターの事もわかってきて面白くなってきましたが、中でも間接的に描かれた刹那の変化が今回は面白かったです。
 間接的に描かれた刹那・F・セイエイの変化というのは、両親を殺した2299年から、ガンダム(=神)に出会った2301年を経て、そして、2307年ガンダムマイスターとして紛争根絶を目指している現在までの刹那の「死生観」の変化です。

 サーシェスに唆されて、死んだ魚のような目で両親を殺してしまった時の刹那は、まだ「死」というものを俯瞰的にしか知らない。それがサーシェスの言う神のために戦った2301年に変化する。自分の両親が自分に銃口を向けられて、死を怖れたように、刹那もまた戦場で自分が殺されそうになることでようやく「死」を怖れるようになった、「死」というものを実感として知ることになった。そして、その「死」をガンダムに救われたことで、ようやく刹那は「生」を、「生きている」ということをようやく実感として知ったと。「生まれるには一度死ななければならない」と昔の偉い人は言ったとか言わなかったとか言いますが、まさにそんな感じ。

 そして、「死」を知り、「生」を知った刹那は、今何のために戦っているのか? 2301年の戦いは神のための戦い、では、今は?そして、これからは……?と問いかけるところで、今回はおしまい(まだわからないから(笑))。個人的には、刹那が典型的な天上人に見えるのは、ミスリードだと思うけれど(ティエリアと違って、刹那は「死」を数字とかで割り切れているわけじゃないから)。



 今回もまた、なんとなく誰かが「脚本」を書いているんじゃないかと思わせるような展開が後半にありました。あの同時多発テロです。「組織」はソレスタルビーイングが武装解除をしないなら、報復を続けるということでしたが、(ソレスタルビーイングは当然武装解除しないわけですから)これって完全に民衆の悪意がソレスタルビーイングに向くのを後押しすることになりますよね。うーん、これは物語を展開させるためのデウス・エクス・マキナ(制作者側のご都合主義)なのか、はたまた劇中誰かがこの「脚本」を書いているのか悩みます。似非予言者が自ら予言した通りに事を運ぶように、ヴェーダの予測(それ自体ちょっと怪しげだったりする)に適ったように事を運んでいる人がいたとしても、仕組まれ、利用され、予測される今作のイメージからいうと、そう外れてはいない気も。まあ、今後の展開次第ですよね(早速と「組織」が駆逐されるなら心配ない)。

 ただふと思ったのですが、ソレスタルビーイング(天上人)は高い位置から俯瞰しているわけだけど、それよりももっと高い位置から俯瞰されているとしたら……、自分たちが俯瞰されているということに彼らは気づかないわけですよね。仮に本当にそんな感じの構図だとしたら、面白いことに地上人はそれに気づく立場にいるんですよね。見上げているが故に、見下ろしているソレスタルビーイングのさらに高次で見下ろしている存在に気づく可能性があるというピコ燃えポイント。そして、その役目は今回完全に戦争屋だと判明したサーシェス(だけど、割と仲間思い)に代わり、レイフ・エイフマン教授、あなたに託された!(←かなりこのプロフェッサー好きだ)



 そして、次回。運命の男と対峙した刹那は、運命の人と出会う。……うん? アリー・アル・サーシェスが「運命の男」で、マリナ・イスマイールさんが「運命の人」。……あれ、グラハムは?(苦笑) もしかして、めっちゃ片想い?



■今週のピコ突っ込みポイント

「洋服を見て、洋服を見て、洋服を見て、洋服を見る」と洋服が大好きなルイスさん。その割には、いつも同じ服着てるよな(苦笑)。話は変わりますが、ソレスタルビーイングには早くあの無差別テロを行った「組織」を駆逐していただきたい。でないと、十中八九、ルイスさん巻き込まれるよ、トラブルメーカーだから(笑)。ホントは(笑)とか付けてる場合じゃないような気もするけれど。

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DAYBREAK’S BELL







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