図書委員をやっていた高校二年生(多分)に書いた文章。恥ずかしながら、校内の図書館報にも載った(ほとんど誰も読んでいないと思うけれど)。実は、元ネタになる文章(実直で真面目な児童文学が日本に跋扈しそれが読まれていない中、日本で生まれたナンセンスな児童文学について書かれた物だったと思う)があって、それを読んだあとに児童文学について書くという企画だったので、これだけ読んでも意味がわからないかも。
 そんな文章を今さら引っ張り出してきたのは、renesisさんりるさんが憂えていた漫画の状況とここで語る児童文学の状況は結構近しいものがあるんじゃないかと思ったから(これもまた読まれなくなった児童文学について書いたものです)。かといって、別に具体的な解決法を掲示しているわけでもないから、だから、何?と言われればそれまでだけど……。


 ミステリー作家である伊坂幸太郎氏の作品には未来を予言する案山子が登場し、普通とは少し違った世界をより一層不可思議に演出している。ミステリーなのに、まるでファンタジーのように不思議な世界だった。未来を予言する案山子なんて、ナンセンスなキャラクターじゃないか。「くまのプーさん」に登場するキャラクター達と同じぐらいインパクトがあると思う。昔の小説をほとんど読んだことがないから、よく知らないけれど、現在では児童文学でなくても、非現実的なキャラクターが登場する。またミステリーであっても、SF的な要素を併せ持つものもあったりする。どちらであっても、読んでいてワクワクする。とても面白い。そんなことから児童文学じゃなくても、物語には非現実性は必要不可欠なものだと感じる。ナンセンスも同じように必要不可欠。ただ多くの子供達が読む可能性がある児童文学は特にそうあってほしい。児童文学は子供達を魅了する存在であってほしい。僕はそう願う。読んでいる間、胸が躍って、ワクワクして、読み終わると、面白かったとただ笑う。そんな物語。ただそれも難しいことだと思われる。

 現在の子供達を夢中にするのはおそらく児童文学じゃない。彼らが夢中になるのはテレビゲームだ。宮沢賢治らが活躍した時代と最も異なる点がこれじゃないだろうか。子供達の興味はもっぱら児童文学ではなく、テレビゲームに向かう。学校から家に帰れば、テレビの前に居座り、ゲーム機の電源を入れて、ゲームに没頭する。親にやめるよう言われて、不満げに電源を切る。それは「不思議の国のアリス」における現実世界から空想世界への出発、また空想世界から現実世界への帰還に似ている。ゲーム機の電源を入れることがウサギの穴に落ちることであり、ゲーム機の電源を切ることが夢から覚めることである。現在の子供達はアリスのような経験を実際に体験していると言えるかもしれない。しかし、この発想自体、現実から離反し、常軌を逸していると思われる。何を考えているのだと私は自分を訝しんだ。まるで空想だ。ただこの空想を世間が認知していることは言うまでもないだろう。それが「最近は現実と空想の区別がつかない子供が増えた」という大人達の発言に繋がっているのだ。どうやらテレビゲームは子供達に悪影響を与えるらしい。現実と空想の区別がつかない子供達がいることを前提にして、児童文学のあるべき姿を考えてみたい。

 現実と空想の区別がつかない原因について、詳しく述べることはしない。詳しく述べられるほど、私はそれを把握していない。簡単に想像できることと言ったら、空想の世界に触れる機会が増え、現実の世界を触れることが少なくなってしまったことだろうか。では、それをどう対処したらいいか。答えは明白だ。もっと現実の世界に子供達を触れさせればいい。現実とはこういうモノだと示せればいい。その役割を担う存在として日本の児童文学ほど適したモノはないのではないだろうか。先日頂いた論文によれば、日本の近代児童文学はリアリズムに富んでいるということだ。そして、登場人物も地に足をつけた生命感あふれる子供達である。こうした子供達の行動を通じ、リアリティのある世界を通じ、現実の子供達は本当に存在することを学ぶ。過去に子供達に受け入れられなかった物語が現在の子供達に受け入れられることは非常に想像し難いが、日本の近代児童文学の特性を生かせるとすれば、今必要なモノはまさしく地に足がついた子供達が登場する児童文学である。そういった意味で、ファンタジーが欠けていることが欠点であると私は考えていない。ファンタジーが欠けているからこそ、児童文学には他のモノには出来ないようなことが出来るのではないだろうか。

 でも、子供が読まなければ意味なんてない。面白みのない、現実的すぎる物語を子供が読みたがらないと思う。少なくとも僕はまったく読みたくないし、読まなかった。これからも読まない、絶対に。意味があっても、面白くないものは嫌いだ。そう、面白ければ良いんだ、面白ければ。特に子供達は面白いことが大好きだ。

 子供達は面白ければ、ファンタジーじゃなくても読む。つまらなければ、ファンタジーでも読まない。単純なこと。子供達は面白い物語を読みたいと思っている。ゲームだって面白いからしている。

 面白いか、面白くないか、ただそれだけだ。面白い物語があれば、子供達はきっと読む。



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