「私は見てきたよ……。契約者と人間を結ぶ在るべき形を」(アルマ)

「合理性」「人間性」の狭間で悩みつつも、どちらを選択するわけでもなく、それらを「共有」させることによって、黄<ホァン>を生かした志保子の姿に涙。ベタな展開のはずなのに、非常に面白いのは何故だろうか。


 志保子さんと黄<ホァン>の話に移る前に、自分の身の可愛さ故に「仲間」に組織の追っ手が近づいていることを言えなかった猫<マオ>について語ります。

 前回のエピソード「掃きだめでラブソングを歌う…」において、僕は、おやっ、と思ったところがあったのですが、感想では触れていませんでした。
 その部分というのは、黒<ヘイ>たちの勝手な行動を黄<ホァン>に報告しない理由「そんなことをして、何の得になる? ただの暇つぶしだよ。お前を見てるとあきないからな」でした。
 それまで、猫にも関わらず非常に感受性豊かに人間らしく描いてきた猫<マオ>に、何故契約者らしい理由(自分勝手な理由)で黒<ヘイ>たちの行動を黙認させたか、合点がいかなかったわけです。

 でも、今回のエピソードを見て、猫<マオ>のこの一連の行動(今回のも含めて)を、制作者は非常に「人間らしい」行動として描いているのかもしれないなぁ、という視点に気がつきました。

 というのも、組織を一つの会社と捉えてみるとわかりやすい。
 猫<マオ>は黒<ヘイ>たちのように「成功者」(あるいはそれに成り得るエリート)ではなく、ただの「平社員」なわけですよ。しかも、人間の身体を失って、形は猫だから、他の会社では雇ってもらえない。だから、リストラされるのを黒<ヘイ>たちの何倍も怖れている。黒<ヘイ>たちは別の会社で仕事を見つけられるかもしれないし、場合によって独立することもできるかもしれない。でも、猫<マオ>にはそれができない。

 一騎当千的な力を持っている黒<ヘイ>たち「契約者」と比べて、力がない非常に矮小な猫<マオ>。成功者と労働者。奇しくも、黒<ヘイ>チームは社会の縮図みたいになってしまってます。

 力を持っている奴らは会社に反抗しようが何しようが、別の会社で仕事を見つけられるから良いけど、俺みたいなこの会社だから雇ってもらえているやつが、反抗できるわけないだろうがっ! という猫<マオ>さんの悲痛な叫びが聞こえてきますよ。……リアルに切ない

 そんなわけで、今回組織の追っ手が来ていることにも気がついていても、猫<マオ>にはそれを伝えることができなかったわけです。会社の不正を摘発して会社を潰してしまっては、路頭に迷うこと間違いなしの会社員のごとく。自分に被害がないのなら、面白いので勝手にどうぞ、と「我関せず」を貫く人のごとく。



 自分の「利益」よりも、「損害」に重きを置いて行動するこの行為、非常に「人間らしい」とは思いませんか? 失敗を怖れ、動くべき時に動けない、どちらが正しいかわかっていてもその通りに動けないというのは、実に「人間らしい」と思います。逆に、そちらが「正しい」、「合理的だ」と判断できれば、そのように行動してしまうのが「契約者」なんでしょうね。リーダーとして相応しいのは「契約者」タイプで、実働してもらうのは「人間」タイプが良いですね(「人間」タイプは道を示しさえすれば、良い仕事をする)。どちらか一方の人種に絞るのではなく、両方の人種をうまく機能させるのが会社の腕の見せ所。

 だから、アルマが目指したように、「合理性」(=「契約者」)を否定するわけでもなく、「人間性」(=「人間」)を否定するわけでもなく、それら両方を兼ね揃えた形(=「共存」)というのが、きっとベストなんでしょうね。

 だから、猫<マオ>の行動を否定しているわけじゃないですよ。でも、欲を言えば、組織に頼るよりも、黒<ヘイ>たちを頼ってほしかったなぁ、と思いますけれど。



 そして、曲がりなりにも三年間アルマの傍にいただけあって、アルマの理想を体現して見せた志保子さんに胸が熱くなったよ。アルマさん、志保子さんはスパイだったけれど、やりましたよ。あなたの「夢」を叶えました。

合理的な判断:私が死ねば、黄<ホァン>は生かされる。

人間的な判断:愛する人を守りたい。


 の二つを持って、トラックの前に躍り出るという「合理的」でもあり「人間的」でもある選択。人は誰しも「合理的」に行動しなければいけない時って、ありますよね。逆に「人間的」に行動しなきゃいけない時も。「合理性」「人間性」も、どちらも欠くことができない「人間」のもの。

 でも、どちらか一方に傾きすぎると、うまくいかない。

「人間性」に傾きすぎると異常に馴れ馴れしい宗教の勧誘者になるし、「合理性」に傾きすぎると「契約者」になってしまう。その中間の、黒<ヘイ>のような、黄<ホァン>のような存在が望ましい。「人間性」「合理性」「共有」した人が魅力的です。

 そんな風に、「人間」「契約者」「共存」する形で『Darker Than Black−黒の契約者−』を締めるのもアリかなぁ、と思いました。EPRの「契約者に人権を」というのも、あながち悪い方策ではないのかもしれませんね。「契約者」側に傾きすぎているというので在れば、否定すべきですが、その辺りどうなるんでしょうね。

 話は志保子さんに戻りますが、最初に黄<ホァン>に接触した時には轢かれても骨折程度で済んだのに、今回は完全に轢かれてしまったのは、どちらかというと、最初が「契約者」寄りで最期が「人間」寄りだったからかな。



 ここからはあまり「合理性」「人間性」に関係なく、ただ「酔い」しれます。今までが僕の「合理性」の発露なら(それほど合理的じゃないですが(苦笑))、ここからは僕の「人間性」の発露かな(笑)。

 前回の感想で述べたように、志保子さんは黄<ホァン>を酔わせて、重大な情報を聞き出したわけですが、これはあくまで「酔う」の一つの側面。そして、黄<ホァン>さんが掲示した「酔う」の側面は、おそらく「忘れる」ことだったんだろうなぁ、と思うわけですよ。今回黄<ホァン>さんが唯一「酔った」のは、志保子さんに情報を聞き出された時で、そのことを彼は「忘れていた」わけですから。

 だから、最後の「酔いてえなぁ」という台詞も、「忘れてえなぁ」ぐらいのニュアンスで理解しました。そもそも彼が志保子のことを忘れていたら、志保子は死ななかったわけですから、黄<ホァン>の気持ちもよくわかります。

 でも、

「契約者にも記憶がある。でも、何か違う。自分の記憶なのに、どこか冷たくて。だけど、あの夜だけは別。あんたが一緒になるって言ってくれた夜の記憶だけは。牛の声、流れる川の音、渇いて少し冷たかった夜の風、輝いていた星。あの時、私は芝居をすることを忘れていた。ただ嬉しかった。幸福で残酷な記憶。でも、ただひとつ私が感じることのできるあんたとの記憶。その二人の記憶があんたの中から消えるのが怖かった。記憶から消されたものは殺されたのと同じ。そうはなりたくなかった……」

 と、志保子さんが二人の「思い出」を消したくなかったから、黄<ホァン>を組織に入れるよう進言したように、黄<ホァン>さんもまた志保子との「思い出」を忘れたくなかったから、組織に従属する道を選んだわけですから……、「忘れる」という選択肢、「酔う」という選択肢は、そもそも二人にはなかったんですよね。

 その選択が、圧倒的に切ない幕切れを用意していたとしても、僕ら視聴者はただその結末に「酔い」しれるしかないというのは、何とも言えぬ無力なことよ……。



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