「じゃあ、君は誰になりたかったの」
「ガードナー」
 僕は即答した。
「ケビン・コスナーの役だよ」


 日本では、車に乗っているだけでは決して物語にならない。
 だってさ、あんなにきれいに舗装された道を淡々と通って、コンビニとかパチンコとかスーパーを眺めて、一体何になるっていうんだよ? ガソリンスタンドとか、ピザ屋とかファミレスとかそんなの眺めて何になるんだ? いやさ、まあ確かに、無人のガソリンスタンドとか何かそそられるものがあるけどさ、家族が楽しそうに団らんしてるファミレスとか見ても仕方ないだろう? な? 何にもならないだろう? だから、俺はヒッチハイカーを乗せるんだ。どうせ乗せるなら、もちろん女の子で、美人なら文句がない。あとは、そうだね、何か見ているだけで愉快になるような奴、車を修理できる専門家、サバイバルテクニックを無駄に持った料理人とかいいなぁ、どっかにそんな奴落ちていないかなぁ……と、この辺りで若さ迸る、いかにもあとから後悔しそうな文章の進行を食い止めよう。後悔先に立たず、だ。これ以上続いては、本の紹介が出来ない。ようは今までの文章で何が大切かというと、愉快な連中と共に旅するならともかく、一人で日本を走り回っていても何も物語は生まれないということだ。
 本作も十八歳の少年が車で走り続けることが主題のようにあらすじには書かれているけれど、そんなことはあるはずもなく、少年と様々なヒッチハイカーとの交流がメイン。というか、ヒッチハイカーがいなかったら、少年は途中で帰っちまったぜ、きっと。それぐらい、いい加減な男です、主人公は(良い意味でも悪い意味でも)。「かもめは本を読まない。」で続きを読む。



 遺した、ではなく、残した。死んだ、ではなく、いなくなった。ということから、彰一さんは生きているんだろうなぁと思っていたので、この本を読んで驚いたシーンというのはなかったと思います(そもそもそういう作家さんではないですが)。美紀さんもそういう女性だろうなぁと思っていたので、驚かず。杏子さんの忠告に耳を貸さない彰二にヤキモキした気分にはなりましたけれど。むしろこの辺りでは杏子さんは彰二に対してどういう感情を持っていたのかの方が気になります。



 とにかく本作で何を一番賞賛したいかというと(批評家風にいうと評価したいかというと)、杏子さんが彰一さんとまったく関係がなかったことです。いかにもこの手の物語だったら、二人に関係がありそうじゃないですか。それがなくてホッとしています。



 一週間ぐらいドライブして、その間に色々あって苦労したとはいっても、ドライブしてお兄さんに会いに行っただけであれほど魅力的な女性と良い関係になれるなんて、彰二に軽く嫉妬しています(笑)。そうだな! 僕も行ってみるか! 年代物の外車で、一人ドライブの旅。いや、免許持ってないけど(笑)。