これだから文学少女は油断ならない。
 頭の中が文学してておよそ現実的じゃないから、目を離すとなにをしでかすかわからない。平気で他人を巻き込む。


 あなたは他人を理解したいでしょうか。
 僕は、まあ理解できなくても良いかなぁ、と思っています。他人を理解するというのが、つまり、どういう状態を意味するのかよくわからないからです。例えば、あまり気持ちを表情に出さない人が怒っているのがわかれば、他人を理解しているということなのか。例えば、アレだアレを取ってくれ、と言われて、それを取ることができたら他人を理解しているのか。前者の場合、理解も何もそれまでの状況で判断できるだろうし、後者の場合もさもありなんという感じです。我ながらものすご〜く例が悪いとは思いますが、果たして他人を理解するというのは一体どういうことなのでしょうか。
 本作のある登場人物が悩んでいるように、他人が笑っている時に自分も笑える、泣いている時に自分も同じように泣ける、それができれば、他人を理解していることになるのでしょうか。わかりません。使い古された言い回しですが、同じ笑っているにしても、それぞれの感情は別物のような気がします。本当に他人を理解するというのはどういうことなのか。
 そもそも他人を理解できないことは問題なのかな、とも思います。
 日々、人とすれ違ったり、喧嘩したりするのは、他人を理解できないために起こっていることとは思えないし、他人を理解できないと何が起こるのかというのもひどく曖昧だと思います。極端に言って、今まで他人を理解できた気がしないけれど、それによって何か被害を被った記憶もない。そういうこともあり、僕は、まあ他人を理解できなくても仕方ないかなぁ、という結論に落ち着いています。
 他人を理解するのに正直あまり関心がない僕ですが、他人自体に興味がないのかと問われれば、NOと答えます。それとこれとは話が別です。理解しなくても良いけれど、「許容」はしたい。おそらくは人が他人を理解したいと思うのと同じぐらい、僕は他人を許容したいと考えていると思います。なるべく肯定もせず、否定もせず、受けいれたい。まあ、良いんじゃない? 別に良いってワケじゃないけど、って感じで。



 相変わらずの妄言ですが、まあ気になさらずに。本題はここからです↓。
 本作は、管理人的に一押しのライトノベルシリーズです。著者は『赤城山卓球場に歌声は響く』でデビューされた野村美月さん。イラストを描かれているのは、『丘の家のミッキー』シリーズ新装版の竹岡美穂さんです。
 とりあえず、文学好きの人とか、単純に三つ編みの女の子が好きな人とか、主人公を嫌う強気な女の子とか好きな人、とにかく読んでみてください。ホワホワっとした気持ちにもなれます。現在刊行されているのは三冊で、刊行順は『”文学少女”と死にたがりの道化』『”文学少女”と飢え渇く幽霊』『”文学少女”と繋がれた愚者』で、まあ順番に読むことを一応オススメします。
 この”文学少女”シリーズは、一巻ごとに種本というのか、ネタ本というのか、モチーフになる作品があって、それになぞらえるように事件が起きるという、なんともマニアックな構成になっています。がしかし、その作品を読んでいなくても、問題なく読めますので心配なさらずに(どちらかというと、こっちを読んだあとに、その作品も読みたくなる感じです)。マニアックと書きましたが、非常にライトで読みやすいと思います。多分この本を読んで、読書が好きになる中高生とかいると思うなぁ。僕も中学生の時にこの本を読んでいたら、文豪の作品とか今バリバリ読んでいると思う(影響受けすぎだ!)。

 そろそろ本作の内容を紹介しようと思います。ああ、未読の方で”文学少女”の雰囲気を知りたいというなら、『”文学少女”の今日のおやつ』がオススメ。

 ではでは、内容紹介を。

 二年前、謎の美少女(?)天才覆面作家として一世を風靡した、井上心葉(♂)は、多大な犠牲を払いながらも、今は平和な日常に還りつつあった。ただ一点――比喩でも何でもなく――物語を食べちゃうぐらい深く愛している”文学少女”天野遠子先輩に、毎日おやつの作文を書いていることを除いて。
 その日も、いつもと変わらず、遠子先輩のおやつの作文を書いている心葉の所に、突然恋文の代筆依頼が舞い込んでくる。それは心葉の作文に厭きたらず、恋のラブラブレポートを搾取するための遠子先輩の陰謀だった。不本意にも、代筆を引き受けることになってしまった心葉だったが、ある日その相手がもう存在しないことを知って……

 というお話です。
 見所はもう何と言っても、遠子先輩の蘊蓄とか書評です。遠子先輩は、普通の人が食べるようなケーキだとかパフェだとかの味は感じられない代わりに、本を食べ物のように批評していくんです。その語り口がとにかく”文学少女”の魅力だと思います。例えば、心葉が”初恋””苺大福””国会議事堂”で三題囃を書いた時の、遠子先輩の書評がこちら。

「やだぁ、苺大福の箱が落っこってきて初恋の人が死んじゃった〜〜〜〜。やだぁ、やだぁ、ヘンな味〜〜〜〜。お豆腐のみそ汁に、あんこを浮かべたみたい〜〜〜。ぐすっ、ひっく、マズイよ〜〜〜」

 どうですか、魅力的でしょう(笑)。微妙に外している三題囃のお題を見るのも楽しい。”ホチキス””遊園地””ラムしゃぶ”とか。
「かもめは本を読まない。」で続きを読む。